
自己肯定は、人生の核を成すキーワードの1つといっていいでしょう。
自己肯定が人生に与える影響は、壮大なものがあります。
自己肯定すると、ポジティブなエネルギーが全開になり、そのエネルギーが喜びの現実を創ります。
しかし、わたしたちは、自己肯定することがむずかしいんです。
自己肯定できない理由の1つに、自己否定があります。
自己肯定したいのに、自己否定をやめられないんです。自己否定している限り自己肯定はできません。
実は、自己否定には、驚くほどの吸引力があります。自己肯定しようと思っても、引っぱられてしまうんです。
挙げ句の果ては、本当の自分で生きることを諦めてしまいます。自己否定はそこまで影響を及ぼします。
諦めたくないですね!
自己否定をやめ自己肯定するにはどうしたらいいんでしょう?
わたし自身の体験をシェアしながら、考えていきたいと思います。
1.わたし自身の自己否定の体験
問題が起こったとき、いろんな感情が出てくるのですが、最終的に着地するところがあります。
「自分は駄目なんだ」「自分には価値がない」という自己否定です。まるでそこがわたしのホームであるかのようです。
問題が起こった時点では、心の中でですが、相手を責めたり文句を言ったり、相手を攻撃します。
そのうちに、今度は、自分が悪いんじゃないかと自分を責めます。
そして、自分は駄目なんだ、自分にはなんの価値もないんだ、の自己否定に落ち着きます。
そんな自己否定する自分が嫌で、自己肯定しようと、真剣に取り組みました。今も取り組んでいる最中です。
その甲斐あって自己肯定できるようになりましたが、それ以上に自己否定の吸引力が強力で、いまだに自己否定します。
自己肯定のホームと自己否定のホーム、2つのホームを行ったり来たりしている状態です。
自己肯定できるようになったといっても、自己否定の吸引力の凄まじさ、威力は変わっていませんでした。
自己否定とはすごいものだなと、素晴らしい芸術作品でも観るように、感心するくらいです。
自己否定に引っ張られると、自分の望む人生を生きられないことにも氣がつきました。そういうカラクリが働いているんですね。
実は、つい最近、自己否定に関する大きな氣づきがありました。
2.2018年1月21日に自分軸に投稿した記事より
自己嫌悪に陥ったとき役に立つ!エゴに着目した克服方法
の記事に書いた一部を、下記に引用します。
(『自己嫌悪に陥ったとき役に立つ!エゴに着目した克服方法』より一部抜粋)
わたしには、どうしても克服できない自己嫌悪がある。
お酒を飲んでいる自分に自己嫌悪に陥る、ことだ。
どんなに楽しく飲んで帰ってきても、翌朝目が覚めた瞬間、心がズーンと重くなり不快な感情に襲われる。毎回、必ずだ。
酔っていた自分を思い出し、ひどい行いをしたかのように、落ち込む。また駄目なことをした、わたしはは本当に駄目な人間だな、と自分を責める。
ものすごく嫌な氣持ちになり、ものすごく不快な氣持に陥る。オーバーに言うと、死んでしまいたいと思うくらいの自己嫌悪。
お酒を飲んでいる自分に対し、なぜこれほどまで自己嫌悪をするのか?
いまだに変わらず自己嫌悪になるので、ここ最近は、逆に謎になってきた。なんでこんなに自己嫌悪になるかわけがわからない、と。
だったらお酒を飲むのをやめればいいけれど、やめたことはない。やめようと思っても、その場になれば飲んでしまう。
そういえば、お酒を飲むのをやめようと本氣で思ったことはない。あんなに自己嫌悪になるのに、考えたら不思議だ。このことは、自己嫌悪の解明の有力な手がかりになりそうだ。
2.自分を変え続けてきた
お酒を飲んだ自分に自己嫌悪にならないように、長い間、一生懸命に自分を変え続けてきた。
その甲斐あって、最初の頃と比べると激変したくらい、自己嫌悪に陥らなくなった。自己嫌悪を克服したと思うくらい自分を変えることができた、と言ってもいい。
ところが、先ほど書いた通り、いまだに自己嫌悪になる。これは一体どういうことなんだろう?と疑問を持つようになった。
3.自己嫌悪になる謎が解けた!
2日前に実際にあったことです。自己嫌悪になる長年の謎が解けました。
謎が解けた体験を日記に書きました。それを下記に引用します。
酔った翌朝の、自己否定は、いまだ、出てくる。今朝も出てきた。
なんでわたしはこんなにも自己否定するのか。ほんと、わたしどうなってるの?と、自分でも疑問に思うくらいだ。
今回は、失礼なことをした自覚がないので、傷つけていないだろうか?というネガティブ感情は、なかった。
いつものように、こう思った。わたしは、みんなを楽しませることができただろうか?つまんない人だと思われなかっただろうか?
↓ ↓
つまんないと思われたら、嫌われる。↓ ↓
価値のない人だと思われる。↓ ↓
価値のない人間だと思われたくない!あーこれだ!自分は駄目だ!無価値観だ!これだー!
わたしは価値がないと思われたんじゃないか?と、いつもネガティブに陥っていたんだ。価値がないと思われることに、ものすごい恐怖を持っているんだ。それが、ネガティブに陥る要因だったんだ。
やっと謎が解けた。
そう、お酒を飲んだ翌日毎回毎回、自分は価値がないと感じ、自己否定し、それでネガティブになっていたのだ。
そして、その都度、自分には価値がないことを確かめることになり、定着させることになってしまっていた。
あーわたしは、無価値感から自分を解放しなさい!という大チャンスを、お酒を飲んだ翌日、こんなにも毎回毎回受け取っていたんだ。
こんなに、幾度も幾度も、大チャンスを、自分が自分に与えていたんだ。
4.自己嫌悪だと思っていたけれど自己否定だった
いまだに自己嫌悪になる。これは一体どういうことなんだろう?
↑
自己嫌悪の奥に、無価値観と自己否定があることに氣がつきました。
そういうことだったのか!自己否定だったのか!と、自己嫌悪になる意味が腑に落ち、長年の謎が解けました。
わたしたちは、自分の現実はすべて自分が創っています。それがこの世の法則です。自分に起こることは全部自分がシナリオを書き、プロデュースしているということです。
あーわたしは、無価値感から自分を解放しなさい!という大チャンスを、お酒を飲んだ翌日、こんなにも毎回毎回受け取っていたんだ。
こんなに、幾度も幾度も、大チャンスを、自分が自分に与えていたんだ。
↑
なので、自分を解放する大チャンスを受け取っていた、自分が自分に与えていた、という言葉につながるわけです。
そういえば、お酒を飲むのをやめようと本氣で思ったことはない。あんなに自己嫌悪になるのに、考えたら不思議だ。このことは、自己嫌悪の解明の有力な手がかりになりそうだ。
↑
ここも、謎が解けました。
わたしが強く自己否定するのは、お酒を飲んだ翌日です。自己否定をやめるには、このネガティブになる体験が必要だったんです。
なので、もうお酒を飲むのはやめようとは思わなかったんだ、と思いました。わたしには、お酒を飲んだ翌日の体験が最適だったんです。
人それぞれ、自己否定する定番の出来事があるのではないでしょうか。
5.自分は駄目だ
実は数ヶ月前から、自己否定することが人生がうまくいかない最大の要因なんじゃないか、と氣づき始めていました。
見つけてしまった!と思う、とても大きな氣づきでした。
自分は駄目だという自己否定が、自分の心から望む人生を創らせないんだな、ということがわかってしまった感じでした。
それからは、自分は駄目だが出てきたら、自己否定は選択しないで、自己肯定を選択するようにしました。
その下地があっての、今回の謎解きにつながりました。
まとめ
自己否定をやめ自己肯定するにはどうしたらいいんでしょう?
この質問自体に、答えが出ていますね。
自己否定をやめることです。徹底的にやめることです。
では自己否定をどうやってやめたらいいんでしょう?ということですが。
自己否定が出てきたら、解放と意図をします。
自分に自己否定があることを認めて受け入れてから、もう自己否定は選択しない!と決めます(これが解放です)。
そしてその後に、自己肯定を選択します。
自分を自己肯定し、(例えば)楽しく喜びに満ちて笑顔いっぱいの自分をイメージします。
そのとき「すでに自己肯定している」自分をイメージすることが鉄則です。すでにそうなっていて喜んでいる自分をイメージします。ポジティブエネルギーを感じ切るということです(これが意図です)。
わたし自身が体験した氣づきのシェアと、解放と意図がどう関係あるのか?
自分に自己否定や無価値観があったと氣づくことによって、自己否定するのはもうやめよう!と思うようになります。
その氣づきが深ければ深いほど、自己否定はやめよう!と思う氣持ちが強くなります。より解放できる、ということです。
自分の中にあるネガティブ感情を知ることで、このネガティブ感情はいらない!と思う→解放と意図をする、という回路が発生するということです。
自分の中にこんな感情があるんだと腑に落ちると、この感情は選択しない!と思えるんです。そしてその感情を解放できるんです。
自分の中にこんな感情があると自覚したとき、外軸から内軸に軸が変わるんでしょうね。
人のせいから自分のせい(自分がこの出来事を起こしたという意味での自分のせいです)に変わったことで、わたしたちは初めて、その感情を解放しようと本氣で思うんです。
自分のせいと思わない限り、自己否定をやめようとは思わないということです。
わたしが自己否定するのはあの人のせいだ!と思っているときは、自己否定から抜け出せません。
自己否定を人のせいにしている、という自覚はないと思います。無意識ではあると思いますが、そういうことが起こっている可能性があります。
自分の中にどんな感情があるのか探っていくことは、自分を知ることになりますし、自分の中にあるネガティブ感情に氣づけば解放できます。
自己否定をやめるには、自己否定だけでなくあらゆるネガティブ感情を解放することも大事です。まわりから固めていく、ではないですが、相乗効果でじわじわっと自己否定から解放されていきます。
番外編
わたしたちは、自己否定してしまうからこそ、自己肯定したいんですよね。
ここにカラクリがあると思いませんか?
そのカラクリとはなんでしょう。
自己否定するのも、自己肯定したいのも、どっちもわたし。
なんのために、そんな矛盾したことをやっているのでしょう。
自分の進化・成長のため、だそうです。
詳しくは、またいつか。
2016年5月5日に、
2016年5月19日に、
「自己否定」と「自分全肯定」を書いています。