
自分のことがすごく嫌になるとき・・・
立ち直れないほど自己嫌悪に陥ったとき・・・
すごくツラいです。
しかし、唯一いいことがあります。
自己嫌悪を克服し自分を変えるチャンスにできる、ということです。
苦しみから抜け出したいからこそ、自分を変える大きな力が生まれます。
ツラいときにしかやってこないビックチャンス!
ツラいときに言われたらムッとするかもしれませんが、ツラさをバネして、自己嫌悪を克服しなりたい自分になりませんか?
人と比べて自己否定してしまう人生から、自分が主体の自分肯定人生へ!
本当はそうしたい、、、と思っていませんか?
自信を取り戻し、本来の自分でhappyに生きることは、誰にでも可能です。
自己嫌悪の苦しみは感謝に変わります。
ー目次ー
私の自己嫌悪体験
エゴとは
自分の中にある思考や感情を見つける
解放と意図で根本解決
もう1つの私の心の声
自分と自分の戦い
私の自己嫌悪体験
私自身の自己嫌悪を克服した体験を例に、お話ししていきます。
私は、お酒を飲んでいるときの自分に自己嫌悪を感じて、相当に苦しみました。
お酒を飲んだ翌朝、目が覚めた瞬間、心が鉛のようにズドーンと重くなりました。お酒を飲んだこと思い出す前に、心の方が反応しているんです。自分の意に反して、と言っていいほど、反射的に強烈な自己嫌悪に襲われました。
醜態を晒したんじゃないか?人に嫌な思いをさせたんじゃないか?人を傷つけたんじゃないか?と自分を責めました。私は本当に駄目な人間だ、この世から消えてしまいたいと思うくらい、自分を全否定でした。
自分を否定することほどきキツイことはないですね。
失態も失敗もしていないし、私もみんなも楽しく飲んでいるときでも、翌朝必ず自己嫌悪に陥りました。どんな状況であろうとも、翌朝、酔った自分に自己嫌悪になりました。強烈な不快感に襲われました。
そんなに自己嫌悪になるのなら、お酒を飲むのをやめればいいのですが、やめることができませんでした。やめようと思っても、その場になると飲んでしまいました。そういえば、本気でお酒を飲むのをやめようと思ったことはありません。あんなに自己嫌悪になるのに考えたら不思議です。
なぜなんだろう?
今ならわかります。自分自身を知るためです。自分の中にあるネガティブな思考や感情を知るためでした。
実は、自己嫌悪になる体験には、真の目的があります。自己嫌悪はとてもツラい体験ですが、自分を進化成長させるために、自分が自分にあえて起こしている人生の計画です。
わかりにくいかもしれませんが、自分の中にあるネガティブな思考や感情を知るための体験です。
それはなぜかというと、、、それは後から種明かしします。
私の人生の計画は、お酒を飲んだ自分に自己嫌悪になることで自分の中にある思考や感情を知る、ということでした。
生まれる前に設計してきたブループリントというものです。どんなにツラい体験であっても、自分が自分に計画した人生の設計図を体験しているということです。
そんなわけで私は、飲んだ翌朝いつも自己嫌悪に陥っていました。あまりにもツラかったので、どうしたら解決できるのは、一生懸命考えました。結局、自分を変えることに行き着きました。
自分を変えるということは、進化成長するということです。種明かしをすると、進化成長させるために必要不可欠の自己嫌悪だった、ということです。
私は、自分を変える取り組みを根気よく続けました。
あるとき、翌朝なんとも思っていない自分に気がつきました。自己嫌悪から遂に解放されました。
エゴとは
自己嫌悪を克服する方法の前に、エゴの話をします。エゴが深く関わっているからです。
エゴという表現と、ネガティブという表現がありますが、同じことと思ってください。
エゴは悪いものと思われがちですが、エゴにいい悪いはなく、エゴにはエゴの役割があると考えています。
エゴは、相反する2つの役割があります。私たちの成長を止める役割と、私たちを成長させてくれる役割です。どちらの役割を採用するか?で人生が変わってきます。
エゴは(ネガティブな思考や感情は)幸せになることを阻む役割をします。
幸せになることを阻むというより、エゴのままの状態でいたいんです。エゴの自分を変えたくないんです。ゆえに、幸せになることを阻むということになるんです。
自己嫌悪はエゴ状態です。エゴは、自己嫌悪のままにしておきたいということです。
自分の中にある思考や感情を見つける
自己嫌悪の克服方法です。
まず最初に、自分自身を知る作業をします。自分の中にあるネガティブな思考や感情を見つける作業です。自分の中にあるものに気づく作業です。
そのためには、自己嫌悪になったとき、自分の中からどんなネガティブな思考や感情が出てきたか自分をよく観察します。出てきた思考や感情が、自己嫌悪を克服する鍵になります。
私の例でお話しします。
飲んだ翌朝出てきたネガティブな思考や感情を観察しました。一番最初に出てきたのは「私といてつまんなかったんじゃないか?」でした。そのすぐ後に出てきたのは「人を傷つけていたんじゃないか?」でした。
この2つはわたしの強い思考癖です。この2つが人との関わりでよく出てきます。
「私といてつまんなかったんじゃないか?」を突き詰めると、自分は魅力のない人間だ、魅力がないと認められないし愛されないという恐怖です。
それは、嫌われて一人ぼっちになるという恐れにつながっています。「傷つけていないだろうか?」も突き詰めると、人を傷つけると嫌われるという恐れにつながっています。
嫌われて一人ぼっちになる恐れがあることは容易にわかりました。けれど、もっと他に、核心に触れる思考や感情があるのではないかと感じました。
私は、人を傷つけることに対し非常に恐れを持っています。つまんないと思わせることも、不快な思いをさせたということで、ある意味人を傷つけていることになると感じました。
人を傷つけるのが恐いという恐怖はなんだろう?と、さらに心の奥に入っていきました。
「愛だ!」
「愛でなくてはいけないと思っているんだ!」
愛でなくてはいけない、という恐怖を持っていることに気がつきました。
私の奥にあるものを見つけました。エゴが必死に隠していたものです。自己嫌悪から脱出するドアを見つけたようなものです。
脱出できたらエゴは消えてしまうので、エゴにとっては死活問題です。追い詰められたエゴは、天才的な策を練って自己嫌悪の中にとどめようとするでしょう。
エゴの罠に騙されず、自分の奥にあるものを見極め見つけ出してください。
最初は難しいかもしれません。近道は、一番上から順に取り除いていくことです。1つ1つ見つけて、どんどん奥に進んでいきます。
解放と意図で克服
本来私たちは、自由自在に伸び伸び、ありのままに生きるのが自然な姿です。しかし、ネガティブな思考や感情によって、その生き方をとめられています。
こうあるべきという世間の常識などにコントロールされて生きることを、強いられています。そこに私たちをとどめておくのがエゴの役割でした。
それは自分本来の生き方ではないので苦しいです。しかし、その反面、自分で責任を取らないで流されていればいいので楽でもあります。いい面と悪い面、両面あります。
自覚はないと思いますが、どっちの自分で生きるか自分で選択しています。いつでも変更自由です。
本来の自分で生きたいと思った人は、ネガティブの鎖を外さなければなりません。それが「解放」です。
私の場合で言うと、愛でなければならないというネガティブな鎖から自分を解放する、ということです。
解放するには、私はもうそれを選択しない、と決めます。自分から、ネガティブな思考や感情を切り離す、と決めます。
愛でなければいけないと思うのをやめるということです。そこから自分を解放し自由にしてあげるということです。
解放したら新しい道を示してあげないと、自由になったもののどこにいけばいいかわかりません。わからないので、今までの道に戻ってしまいます。
解放されたらどう生きたいですか?それが意図です。
私の意図は、どんな自分自身であろうとも認めて受け入れて愛する、自分を肯定する、です。
意図するときのポイントがあります。すでにそうなっていると感じることが大事です。すでにそうなって喜んでいる、そのポジティブなエネルギーを感じることがポイントです。
そうすると、そのエネルギー通りの現実を体験できる、というのがこの世の仕組みです。
解放と意図は必ずセットでやってください。一回の解放と意図だけですぐ解決する、というわけにはいきません。
玉ねぎの皮をむくように何度も解放と意図をして、玉ねぎの芯にたどり着かなければなりません。根気よく解放と意図をしていく必要があります。
玉ねぎの芯まできたら克服です。愛でなければならないで、自己嫌悪になることはありません。
他のことで自己嫌悪が出てきたら、同じようにやってください。
そこまでいくのに、何度も同じ自己嫌悪に陥りますが、陥る深さが変わってきます。どんどん浅くなっていきます。軽くなっていきます。
あきらめず解放と意図をし続ける覚悟が必要です。覚悟をしたら、その方向に動き出します。覚悟を決めることも大事です。
一回ごとの解放と意図で、ポジティブ度がアップされていきます。今まで体験したことのない世界に踏み出していきます。
もう1つの私の心の声
おまけ的な話です。私のツブヤキを聞いてください。
自己嫌悪になったとき、なにが起こっていたのか?
わたしは、酔っている自分が自己嫌悪するくらい嫌いだ。
なぜ嫌っているんだろう?なぜ自己嫌悪するんだろう?
ときどき、思う。
自己嫌悪する酔った自分の方が、実は魅力的なのではないか?実は本来の自分なのではないか?
本当は、反対なのではないか?
と、とても大胆な推理をする。あくまで推理だ。
酔った自分は駄目な自分だと、エゴのわたしがわたしを騙す。
わたしは酔った自分は駄目な自分だと信じ込み、あんな自分を人前で出しては駄目だと思う。
でもなぜか、何度も何度も酔った姿を人目に晒してしまう。
その都度自己嫌悪に陥るのに、何度も酔ってしまう。しかも、お酒を飲むのをやめようとしない。
それはなぜかと言ったら、酔って自己嫌悪になる体験がわたしに必要だからだ。
自己嫌悪になれば、自分を変えようとするし、本来の自分に戻れるチャンスを得られるからだ。
今現在は、酔っていない自分がいい自分だと思っている。
でも、もしかしたら、自己嫌悪する酔っている自分の方が本来の自分自身に近いとしたら?
酔っている自分に本来の自分に戻る大きな鍵があるとしたら?
だとしたら、その鍵を見つけるまで、別の意味で酔った自分を観察する必要があるかもしれない。
別の意味とは。
自分の中にあるネガティブな思考や感情に気づくことは別に、酔ったときに現れるいい部分の自分。
酔ったからこそ、ありのままの自分になれたり、鎧を外す自分がいたり、しているのではないだろうか?そこに本来の自分に戻るヒントがあるのではないか?という視点で観る。
その部分を見過ごしているんじゃないか?
どっちにしろ、自己嫌悪する体験から、自分自身の新たな道を開いていくのだろう。
自分と自分の戦い
スポーツ選手が、最終的には自分と自分との戦いって言いますが、本当にそうだと実感します。
ネガティブな思考や感情を解放したらいいことはわかっていても、エゴの天才的な誘惑に負けてしまいます。解放するのをやめてしまいます。
今までの慣れ親しんだ生き方を変えるのは大変なことです。それなりのエネルギーを必要とします。綱引きのように、エゴの自分と本来の自分に戻りたい自分が戦います。
私は本来の自分に戻ると決めています。酔って自己嫌悪になる体験は、その大きなサポートをしてくれました。逆に、自己嫌悪になることが必要不可欠でした。
実は、エゴを解放し本来の自分になると決めると、ネガティブなことが起きます。
なぜなら、そのためには、自分の中にあるネガティブな思考や感情に気がつく必要があるからです。
ネガティブな出来事は、しあわせになる大チャンスがやってきたと喜ぶようなことだ、と心にとめていただければと思います。
このような視点から自己嫌悪をみたら自己嫌悪が違って見えませんか?
この世に生まれてきた理由の1つは、自分の中にあるネガティブな思考や感情をポジティブに変換することです。解放と意図です。
そのために、自己嫌悪になったりネガティブな出来事が起こると考えてください。
自己嫌悪は大いなるギフトです。ビックチャンスです。
どうぞ、チャンスを逃さないで!