「初心忘るべからず」から見つけた3つの扉

なんだかむなしい、しっくりこない仕事や自分がしてきたことで、ふと行き詰まりのようなものを感じることがあります。こんな状態になったら、早く元気になって活力を取り戻したいものですよね。

とはいえ、こういう時は焦っていろいろやってみても余計に苦しくなったり、空回りしてしまいがちです。むしろこんな時はそっと自分に寄り添って少し休憩しましょ。

休憩中も指針をもつことで迷子にならないようにしておこうっと。ふと「初心忘るべからず」という言葉が過りました。今一度噛み締めてみようと思い調べてみましたら、おやおや?最初に抱いていた意味とは違うものがみえてきましたよ。

停滞から道が開けるでしょうか☆

世阿弥の言葉

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「初心忘るべからず」というのは、能を大成した世阿弥が語った言葉なんですね。世阿弥の言葉はその能楽、芸術論である「風姿花伝」や「花鏡」などに記されていました。世阿弥がこれらを書き記した目的には、常に高いレベルでの芸を伝承していくことにあったようです。ざっくり「花鏡」の現代語訳をみてみましたけど、ま~、心が引き締まり深く研ぎ澄まされるようです。*訳によって見解の違いが見られる箇所もありますが、全文と調和している訳がしっくりきます。

「初心忘るべからず」は、繰り返し出てくる言葉ですが、世阿弥のお父さんの観阿弥から引き継がれている家訓のようです。

わたしは最初この初心って、モチベーションや志のことだと思ってたんですけど、実は「未熟であったころの芸が向上し達成した時の経験や感じたことや考え方」のことだったようです。

「是非初心を忘るべからずとは、若年の初心を不忘して、身に持ちて在れば、老後にさまざまの徳あり。」

とありまして、その時のことを覚えていれば、後々いろんなことに役立ちますよ。というメッセージなのでした。

ん~なるほど~そうか~。。初心者のときは、自分の未熟さをわきまえていて謙虚だし、好奇心もあってアンテナも張り巡らせて、心もオープンになってるなぁ。なんどもなんども夢中になって繰り返しやっているうちにできるようになったっけね。あのときは、とってもうれしかったなぁ。なんて思い出しているうちに前向きになってきましたよ。

心が上向きになると行動がとれるようになりますね。それが少しでも今の状況から「差」ができて方向も変わってきます。

また逆にそれを忘れてしまうと、自分の芸のレベルが下がって来ていても気付かなくなってしまい、果てには未熟なところにに下がってしまうことも世阿弥は警告しています。

「上がる所を忘るるは、初心へかへる心をも知らず。
初心へかへるは、能の下がるところなるべし。
しかれば、今の位を忘れじがために、初心を忘れじと工夫するなり。
返す返す、初心を忘るれば初心へかへる理を、よくよく工夫すべし。」

確かに~、マンネリになってくる。あたりまえになってそこに心がなかったりするなぁ。変なプライドが出てきて視界がせなくなってたりもする。自分の成長じゃなくて人と比べてたり、と改善点も見えてきます。

日記を書くといいって言うけれど、それにはこうした利点があったんですね。覚えているようで結構書かないと忘れてしまうこと多いです。自分が成長してきた過程がわかると自信もついてくるし、困難な状況にあっても、いままでも困難を超えてきたんだから今度も大丈夫って思えます。どこでズレてきたのかも気づきやすい。

世阿弥はさらに、時々の初心、老後の初心について語っています。初心は若者だけの特権ではないのですね。節目節目にも、老後においても初心があるんですね。新しい環境、何かを失ったとき、さまざまな場面で初心はやってきます。これを貫いたとき、完成という結果を求めることなく、また制限なく永遠に進化成長していけることでしょうね。

禅にみる初心

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世阿弥は、禅に通じていました。そこで禅にみる初心について『禅マインド ビギナーズ・マインド』 鈴木俊隆著にわかりやすい文があったので抜粋させていただきます。

初心とは、いつも豊かで、それ自体で満ち足りています。

(それは、)空の心、それゆえ、つねにどんなことも受け入れられる用意がある心です。心が空であるとき、それはどんなことも受け入れる、どんなことにも開かれている、という状態にあります。初心者の心には多くの可能性があります。しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません。

いろいろなことを分け隔てすると、あなたは自分で自分の限界をつくってしまいます。なにかを求めることが強すぎたり、また、欲が強すぎたりすると、心は豊かで、満ち足りた状態ではなくなっていきます。

初心者の心、「初心」には、「私にはなにかを得た」というような思考がありません。どのような自分中心の思考も、無限に広い心の中に限界をつくります。なにかを達成したいとか、達成したというような心がないとき、つまり、自分中心の思考がないとき、私たちは、本当の初心者なのです。このとき、私たちは、初めてなにかを学ぶことができます。初心者の心は、すべてを受け入れる慈悲の心でもあります。私たちの心が慈悲に満ちているとき、それは無限なものになっています。…”

1.初心を忘れないことで、チャレンジが生まれる

2.初心を忘れないことでブレを調整できる

3.初心を忘れないことで無限になる


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