
【幸せとは…】幸せについて、真剣に考えたことってありますか?
幸せって、身近そうで考えてみると身近じゃなかった、なんだかとっても不思議で、つかみどころのない空気のようなもの。
「今日、こんなことがあって幸せー!」って、おおっぴらに言っている人をあまり見かけないような気がします。(あ、今はSNSでみんなぶっちゃけてますかね?)
私はその昔、なにかあるたびに「幸せなことって大きな声で言っちゃうと妬まれるよ?」と、夫から刷り込まれながら生活していました^^;
なんだかここに、大いなる秘密があるように感じるのですが…。幸せって小さなものから、大きなものまでありますね。
え?小さな?大きな?それって、誰が決めているんでしょう?
それは…
今日は、幸せについて考察し、幸せになろう♡という提案をしてみたいと思います!
◆幸せの定義は人それぞれ
それって、なんだか真の“幸せ”とは程遠いような気がしませんか?
私は、今ミニチュアダックスフンドを2匹飼っています^^
元々は、飼って10年になるメスが1匹いて、ワンコのいる小さな幸せを日々感じていました。
しかし、なんの因果か?
大学生の娘がバイト先のペットショップで売れ残ったもうすぐ1歳になるミニチュアダックスのメスが「繁殖に回されるのが可哀想だ」とさめざめと言うので、しかたなく飼うことになりました。
大人になりかけのパピーのしつけは、とても難しいのはわかっていたのに、あろうことか私もうっかり承諾してしまったのです。
迎えてみると、懸念どおりその日から地獄の日々が始まりました。
朝から晩まで犬の世話に明け暮れました。普段は、夫の会社の仕事を手伝っているのですが、それもほとんどできなくなりました。
「犬は、2匹になるとお留守番させるのがとても楽になる。」と聞いていたのに、なかなか仲良くしてくれず、それすら叶いそうもありません。
この話のどこがいったい幸せにつながるのか?とお思いの方もいるでしょう?(笑)
予想に反して、私は今、幸せです!2匹のダックスは、私の幸せの感情を容易に引き出してくれるのです。
お世話を大変だと言いつづければ、それは地獄が続くことになるでしょう。しかし、スピ大生の私は、この現実も書き換えられることを知っていました。
私は、この2匹と触れ合うことで湧き出る“幸福感”を使って、地獄→天国(幸せ)に書き換えたんです!たった小さなわんこ1匹が加わっただけで、私を今まで以上の幸せに導いてくれたのです。
このように、2匹の小さな犬たちが側にいてくれる幸せを、今私は噛みしめています。
が、一方で「猫の方が好き!」な人には、こんな状況に幸せは感じられないでしょう。ペット1つをとっても幸せの定義は人それぞれです。
幸せの定義の尺度は、犬・猫だけにとどまりません。
結婚するか?しないか?子どもがいるか?いないか?子どもが成績がいいか?悪いか?子どもに才能があるか?ないか?
などなど、実に多岐にわたり、自分以外のことでも頭や心を痛め、幸せなどまるで感じない!と思われる方も少なくありません。
では、幸せな人生へ向かうためには、どうすればいいのでしょう?
◆人の幸せを理解しよう!
幸せの定義が人それぞれであることを受け入れたあなたには、きっとできると思います。
人が幸せであることが理解できるようになると、おのずと自分の幸せへの扉が開きます。
私は、スピ大に入ったばかりの当初、コミュニティで「あなたは幸せですか?その気持ちを書き出してみましょう」というトピックに、他のスピ大生が「はい!幸せです!」と次々に書き込まれているのを見て複雑な気持ちになりました。
私には、幸せがどんなものかわからない!!という気持ちでいっぱいでした。悲しくなり「幸せがわからない」こんな私が、果たして生きていていいのだろうか?とさえ思えてきました。
その当時の私は、コミュニティで「幸せです!」の書き込みを見るたびに、自分の【劣等感】や【羨望感】が生まれては消え、生まれては消えしていました。
私の【劣等感】は、「幸せでない私は、人より劣っている」にはじまり「こんなダメな私は、生きている価値がない」という【無価値観】にまで行きつきました。
【羨望感】は、「羨ましい…」「幸せな人が憎らしい」というように、心の渇きにも似た求める気持ちが強く現れていました。
これらの【思い】【感情】たちを、スピ大の学びに添って手放し、クリーニングすることからはじまり、それが定着する頃、はじめて「人の幸せ」というものを理解できるようになったのです。
◆幸せは誰のため?
その延長線上で、いつしか自分が人を集めて主催をするようになりました。
今思うと、誰かに幸せにしてもらおう!とか、誰かが幸せへと導いてくれる!と勘違いしていたんですね。
そして、そういう誰かのサポートをすることで、どこか素晴らしい世界へ導いてもらおうと思っていたのかもしれません。
その活動をしていた頃の私は、自分や家族ではなく外へ外へと意識が外れて行っていました。
それは、自分の人生の舵とりを他人任せ(誰かに幸せにしてもらおう!)にしていたり、他人に依存(誰かが導いてくれる)していただけにすぎません。
私の、これら【依存】体質(性質)に、終止符をうった一言があります。
“「世界平和のためにできることですか?
家に帰って、家族を愛してあげてください。」
マザーテレサ”
このマザーテレサの言葉に触れたとき、幸せは、誰かのためとか誰かに施されるのではなく、自分と家族が幸せにならなければならない!と悟った瞬間でもありました。
◆じゃぁ自分を幸せにしよう☆
「あなたは今、幸せですか?」
前出の私と同じように「幸せがわからない!」とのたうちまわるもよし、「幸せに決まってるじゃーん!」ならなおよし!
とにかく、この質問に思考を巡らせてみてください。
「幸せがわからない!」とお答えくださったあなたは、このまま読み進めてください^^
「幸せに決まってるじゃーん!」とお答えくださったあなたは、最後の項まで読み飛ばしてもいいですよ☆
では、ここからは「幸せがわからない!」人向けへの質問です。
●なぜあなたは、幸せでないのですか?
思いつくまま気の向くまま、つらつらと書き出してみてください。
あなたを幸せにできない、反対の【思い】や【感情】たち、そして【出来事】たちが記録できたかと思います。
それらは、あなたを幸せへと導く反対側のエネルギーなので、きちんと書き留めておくことをおすすめします。
自分で、自分を幸せにするために必要なことですから、ここははずさないでくださいね!
◆〇〇〇は捨てて行こう!
では、それらがいったいどういった作用で、あなたの幸せを阻害しているのでしょう?
私たちは、生まれてから今まで、ずっと【現実の出来事を体験】し【思い】と【感情】を感じながら生きてきました。
「ところで【現実の出来事を体験】とは、いったい何のことを言っているの?」と思ったあなた!
いい質問です^^
「疑問を持つ」ということは、私たちが今まで無意識に過ごしていた動作に“光が当たる”こと。そこに光があたることで、新たな認識が一気に拡がるのです。
では、疑問に答えます!
ズバリいいますね!
私たちは、人生に悪影響を及ぼしている【思い】や【感情】たちを炙り出すために、この【現実の出来事を体験】しているにすぎないんです。
つまり、あなたが握りしめている【思い】や【感情】こそが、幸せだと思えない現実を創っている元だということです。
なので、それらの思考・感情を捨てる(解放・クリーニング・浄化など)ことができない限り、永遠にリピートされ続け一向に幸せになれないのです。
あなたを苦しめていたのは『家族や知人や悪霊のせいではなかった!』のですよ!
ここ、ホッとするところなんですが…。
もしかしてホッとするどころか、「人のせいに決まってる!」と心が叫んでいる人もいるかもしれませんね?
その叫びに似た【感情】こそ、炙り出された捨て(手放し)たいものなんですよ^^
◆私たちは、幸せになるために生まれてきた
私は、これを初めて聞いたとき、ハートがひどく動揺したとともに、心から安堵したことを今でもはっきりと記憶しています。
「私は、幸せになってよかったんだ!」
あなたは、これを聞いてどう感じましたか?「これで、安心してこの人生を幸せに生きていい!」という心の声が聞こえてきそうなのは、私だけでしょうか?
真の幸せとは…
あなたが幸せになれば、この世界からも戦いの火種がなくなり幸せになる…これこそが理想的で究極のEcoではないでしょうか?
これからは、誰にも遠慮なく幸せになりましょうね☆