人生に絶望~大切な人を失った悲しみを乗り越えた3つの選択

誰も望みはしない大切な人との別れ。

そこには、深い悲しみと人生への絶望感が伴います。それに耐え、乗り越えるのは大変なことです。過去に生きる人生も、過去を活かす人生も、あなたは、どちらでも選択できます。

そして、選択の時期も、あなたが自由に決めていいのです。

<奇跡はいつ?>

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吐血をし、エマージェンシーコールから20分。彼は、肉体から離れました。それでも私は、必ず奇跡が起こると、微塵の疑いもなく信じていたのです。今まで何度も奇跡を起こしていましたから、今回も絶対に大丈夫だと思っていました。いつ奇跡を起こして驚かせてくれるのかと、そのときを待ち望んでいました。

髄膜炎で入院し、「1ヵ月後の舞台は無理です。」と、言われても、強靭な意志で勤め上げました。心不全を起し、「二度と舞台には戻れません。」と宣告されたときも、不屈の魂で復帰した経験があります。だから、今回だって、「あと数日です。」と宣告されたときも、「会わせたい人に大至急連絡してください。」と、言われたときも、絶対に大丈夫だと信じていたのです。

心臓が止まり、瞳孔が開いているのが確認されても、必ず蘇ると信じていました。霊安室に移動してからも、必ず目を開けてくれると、その瞬間に備えていました。身体が冷たくて自由に動けないだろうから、目が覚めたら、直に棺から出してあげられるように、ずっと付き添っていました。

骨になった彼を見たとき、戻る身体がなくなった現実に直面して、初めて彼の死を受け容れざるを得ないと悟ったのです。その瞬間、彼を生活の中心にして過ごした33年間が、濃霧の中に消えていきました。

<これは、私の現実ではない>

人智の及ばない大きな力が、私たちの世界を動かしているように感じてから、それについて学んできました。そして、現実を望むように創造できると知り、今日まで取り組み続けてきたのに、望まない最悪の状況が展開されたのです。

私は、彼の病気が落ち着き、穏やかで幸せな生活を創造していました。もっと、ずっと一緒に過ごすと決めていたのに、真逆の現実が訪れたのです。創造が失敗した自責の念、絶望、無力感、喪失感、深い悲しみ。そして、ひとりになった恐怖。

それらが一気に襲いかかってきて、存在していること自体が恐怖になっていました。

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魂の片割れであった彼が、肉体を離れたことによるショックは、想像を絶していました。

「二人で築いた全てが元々無かったものなら、一緒に過ごした時間が存在していなかったのなら、これほど辛くはないはずだ。いっそ、全てを無かったことにしたら、どれ程楽になるだろう。」そう思ったのです。

そして、彼と過ごした思い出の一切合切を、記憶から完璧に消し去りたいと願いました。「そうすれば、何も感じなくてすむ。悲しみも絶望も、恐怖さえも、感じなくてすむはず。」

今、思い返してみると狂気じみていますが、身の周りから、彼に関わる全てを葬り去りたいと、その一念しかなかったのです。

<選択1 生きる恐怖と向き合う>

3ヶ月が過ぎた頃、このままでは、私は気が狂ってしまうと思い始めました。何とかしなければ、廃人のような人生を送ることになると、気付いたのです。

それからは、ひとりで生きる恐怖を拭い去るのだと、気持ちを切り替えました。まず最初に取り除きたかったのは、悲しみではなく恐怖でした。

悲しみには耐えられましたが、恐怖を感じると体がすくみ、身動きが取れなくなりました。そこには、攻撃や非難、中傷、悪意、責められる、理解されない、責任が取れない、罰せられる、殺されるといった、今生だけでなく、あらゆる過去生で体験した、被害者意識と恐怖心が混在していました。

更に、再び創造を失敗するかもしれないという、言葉で言い表せない不安と恐怖に苛まれました。それゆえに、望む日常を創造するどころではなかったのです。

恐怖心の原因となっている感情や感覚は、現在ではなく過去のものでしたが、まるで目の前で今、現実として展開されているかのように感じ、とても怯えていました。守ろうとすればするほど、恐怖心は強く深く広がり、日常の判断を狂わせていきます。

その結果、望まない妄想に捉われ、心身ともに消耗し、状態は日に日に悪化する一方でした。

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そんなある日、ただただ負のスパイラルに嵌っていては、この状況から脱することはできないと思い始めたのです。そして、何もせずに苦しみ続けるか、行動を開始するかを、自分自身に問いかけました。

<選択2 思考パターンを変えると意図する>

そのとき、また創造を失敗するという、強い恐れと不安に襲われたのを、ありありと覚えています。

このまま、何もしないのは辛い。再度、望む人生の創造に取り組むことも辛い。

これは、今まで散々感じていたことで、この時初めて、同じ思考パターンに嵌っていると認識しました。そこで、思考パターンを変えると意図しました。

一般的に余り認識されていませんが、私たちの意図する力は、現実創造に大きな影響を与えます。まだ、絶望から抜け出せていない状態でも、何とかしたいという気持ちが芽生えたのは幸いでした。何とかしたいのなら、変えるしかないのです。

恐れや不安を感じるとき、目の前に、必ず二つの道が用意されます。

一つは恐れや不安の道。

もう一つは喜びや幸せの道。

これを、「恐れや不安は、自ら選択しなさい。」という、内なる神からの声のように感じました。

つまり、恐れや不安を覚悟を持って選択するのと同じように、喜びや幸せも、そうなる意思と覚悟で選択できるのです。人生は、はっきりした意図の下、いつも自分で望むように選択し、創造できるということなのです。

ここに辿り着いたことは、私たちに授けられた本来の力を、漸く取り戻したということに他なりません。あとはこの力を発揮して、顕在意識が認識するまで、繰り返し取り組むだけです。

そして、人生の強制断捨離が始まりました。

<選択3 依存から自立へ>

彼が存命中は、共依存状態でした。それが普通でしたから、大して気になりませんでしたが、生まれて初めてひとりになって、自立していないことが身に染みて分かったのです。

諸々の恐怖心は、自立していないがために出てきました。そこで、些細なことだと思っても、恐怖や依存を感じる度に、手放していきました。もちろん、創造に失敗する恐れや不安も、絶対に手放すと、強く意図しました。

依存するということは、自分の人生を他人に委ねてしまうことです。私は、彼を生活の中心に置いてきましたから、まさに、自分の人生を彼に委ね、そして、彼の人生を私に重ねていました。

彼と共に過ごした時間は、本当に幸せでした。けれど今、肉体から離れた彼に委ねることはできません。これは、私の人生が自分の元に戻ってきたということで、自由に創造できることを意味します。

自分が現実を創り出していると知ることが、自分の人生に責任を持つことであり、それが自分の望みを叶えることに繋がっていきます。

不安や恐れが出てきたとき、無理だと諦めようとしたとき、何も変わらないと落ち込んだとき、もうどうでもいいと自暴自棄になったとき、呪文のように唱えました。

「人生は、いつも自分で望むように選択し、創造出来る。」

更に、変化する恐怖、騙される恐怖、自分を信じる恐怖なども浮上してきましたが、それらも根気強く、繰り返し手放しました。時間をかけて丁寧に、薄絹をはがすように、よくぞ踏ん張り耐えてきたと、自分自身を労わりながら続けました。

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具体的に何も決められなくても、この状況から脱したいと思うだけで、舵は切られ進む方向が変わります。悲しみの隙間を見つけたら、今を生きていることを思い出してください。

悲しみが癒えて、少しずつ動けるようになったら、自分自身を見つめられるようになります。悲しみは、とても純粋で強い感情だからこそ、自分の心を、深くまで静かに見つめられるのです。

あの頃は、本当に辛い日々を送っていましたが、今では、貴重な時間を持てたことに感謝しています。

深い悲しみを味わう時期は、人生でそう多くないと思います。それだけに、人生にとって、とても重要なメッセージが隠されていると感じます。そのメッセージを、今受け取るのか、もっと先で受け取るのか、それも自由に選択していいことなのです。

私たちは、意識的であろうが、無意識であろうが、常に人生を創造し続けています。ですから、どうかあなたご自身の意図で、意識的に望む人生を創造してください。

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人は肉体を離れても学び、成長し続けます。人間とは異なる形態の存在として、そのままの個性を持ちながら、しっかりと生きています。いつか再び彼と会ったとき、お互いに成長したことを喜び合いたいと思っています。そのためにも、自立して生きていく人生を選択しました。

そして、自分を愛し、人を愛し、地球の一員として、すべての宇宙に感謝しながら、次元を高めていくことを、常に創造しています。

この体験が必要な方の元に届き、少しでもお役に立てますよう、心から願い祈っています。


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