許せない人を許すとき…最大の進化飛躍するチャンスの到来!

私には、生涯許せないだろうと思っている人が2人います。悲しいかな、その人達とは3歩歩いたら顔を合わせる距離にいます^^;

しかし、この方々は、私の霊的成長の為には、欠かせない人達だったと今では思えるようになりました!
いったい、私は、どういう学びを経てそこまで行きつくことができたのでしょうか?!

今、身近に『この人だけは、絶対に許せない!』と思っている人がいたら、参考までにどうぞ読んでみてくださいね。な~んだ!そんなことで?!と、思うかもしれませんよ♪

そもそもなぜ、その人の事が許せないのだろう?
まずは、ここから始めてみましょう♪

1.許せない理由を探す

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私の場合は、「怒られる理由もないのに、相手の怒りをぶつけられた。」「普通にしていることに対して、ことごとくダメ出しをくらった。」でした。どちらも不可抗力で、なぜ怒られているのか?ダメ出しされるのか?わからずに、その当時は混乱した覚えがあります。

後からわかったのは、要するに相手方は、ただ単に「私のことが気に入らない」だけなのでした。ここに気づくまで、私は、自分の事を「私が悪いから」「私が未熟だから」と、ひたすら自分の悪いところを探し続ける日々を続けていました。

理由がわかってからは、やっと少しづつ自分を貶めることをやめることができました。下ばかり向いていた日々にようやく終止符を打つことができたのです。

このような自虐ケースでは、「私はなにも悪くなかった!」という理由を見つけることで、劇的に世界が変わってきます。人、それぞれ理由は違うのでしょうが、許せないと思った根本を見つけることで、きっと、心が軽くなる糸口が見えてくるはずです。

2.傷ついた小鳥を癒すように 自分を癒してみる

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「私が原因ではなかった!」こう気づくことで、心は上を向いてくるでしょう。
しかし、そのままでは、何かの拍子でつまづいたとき、また墓穴にはまりこむことがあります。私の場合、あまりにも自虐期間が長かったからなのですが、なかなか地表に足をつけることが叶わず、少しのつまづきで心を閉ざすことが普通のこととなってしまっていました。

こうなると、好むと好まざるとも「人間恐怖症」のような感覚に陥ってしまいます。気持ちが上向いているときに、人と会う約束をしても、不安定な精神状態なので、いざ当日になると朝から落ち着かなくなってしまいます。出かける用意もしぶしぶです。

そして、出かける時間になると、ハートは早鐘のように鼓動し、「行きたくないモード」は全開になってしまいます。どうかすると、時間も守れないくらいに、支度の準備が遅くなってしまいます。そうして、やはり心が重いので「行かない理由」をあれこれ探し出すのです。結局は、遅刻までしてしまう始末…重症です。

こんなことが何年も続きました。そうして、また自分を責めるモードに戻ってしまう繰り返しのパターンを続けていました。せっかく、下を向いていた日々に終止符を打っても、これでは何の解決にもなりません。

このパターンを繰り返していたある日、ふと「自分が癒えていない」ことに気づき、愕然としました。

自分が癒えていない…ということは、何をしていても、心が休まらない状態です。大好きな子供との愛すべき時間も、心は絶えず傷つき続けているような(自分で自分を傷つけ続ける)、そんな感覚です。

そして、これも自分の中で起こっている現象、自虐パターンの繰り返しだったのです。
では、このパターンは一生続くのでしょうか?

いいえ…
それを、自分で終わらすことができます。
自分が傷ついていることに気づきさえすれば、それを癒すことができるでしょう。それをできるのは、自分にしかできません。自虐を続けるも、やめるも、自分次第なのです。

今、ここで宣言しましょう
「私は、充分傷ついてきた。これからは、私は、私を癒すことにします。自分に、やさしい時間を増やし、自分自身を癒すことに専念します。」

そして、できるならば自分をギュッと抱きしめてあげましょう。まるで、幼子を抱きしめるように…あなたが、あなたを癒すのです。

3.自分が心から癒えたとき、相手が変わっていることに気づきます

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自分に優しい時間をもてたとき、癒しの実感を得たとき、周りの人たちもまた、優しくなっていることに気づきます。それは、自分が心から癒された証のようなものです。

自分を癒すことができたとき、あなたは「相手を許している」ことに気づくでしょう。
そうなんです、「許せない相手」とは、結局のところ突き詰めてみると、「許せない自分」を相手に投影していたにすぎないのです。

私の場合は、根が深かったのか?すぐにここに到達することができずに、気づきと落ち込みの間を、何年も何年もウロウロしていました。それだけ、自分を貶めていた時間が長かったからなのですが、ここにきて、「相手を許せていない自分」を許す、という究極のところまで到達しました。

こうなると、鬼に金棒なんです。相手の顔を観ても何も感じなくなり、それどころか、相手を「可哀想な人たちだ」と憐れむようになっていました。

4.究極の気づきの境地へ…

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実は、人って他人から傷つけられることなど、本当はできないのです。傷つけているのは、自分の思考の中の自分だということです。ここに気づくことができると、聖の連鎖とでもいいましょうか?気づきの連鎖、幸福の連鎖が続くようです。

私は、この境地に4か月前に到達することができました。それは、自分を振り返り、自分を信じ、自分を癒し続け、その結果として、私の世界が変わりだしたからでした。

ダメな自分など、本当はいないのです。自分を責めない、自分にダメ出しをしない、その柔らかな波動に気づくと、周りに優しい人たちがいることにも気づけるようになり、そこから、素晴らしいギフトを受け取ることもできるのです。

全ては、自分の心のあり方が映し出す世界だったと気づいたとき、あなたの人生は、歓喜に包まれることでしょう。


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