人生の岐路

人生の岐路にたったとき 覚悟を決める3つのヒント

「あなたならどっち?」そんな二者択一の選択を迫られたことはありませんか?

進学や就職、結婚、入院、手術といったあらゆる岐路が人生では沢山訪れます。そんな人生の岐路に立った時、先人の言葉で耳にする 「覚悟を決める」というものがあります。

しかしこの「覚悟を決める」という選択。

その局面にたったときほど、様々な感情に押し潰されそうになった経験はありませんか?いくら先人がそう説いていてくれたとしても、むしろ即決し難いのが「覚悟を決めること」なのかもしれません。

さらにその選択には「一人で向き合う必要」がセットされていることが多い。

誰かや、何かに頼ることができない!そんな極まった場面設定であることも…。

そこで今回は、人生の岐路に立ったときの覚悟の決め方について、押しつぶされそうな感情に自分がどのように向き合い、岐路の二者択一そのものをどう捉えたらいいのか?

実体験をもとに紐解きながら、人生の岐路・選択に際し、自らに葛藤なく真正面から向き合え、二者択一以上の可能性を見いだせる!そんな覚悟の決め方、考え方のヒント3つを、ご紹介します。

ヒント1 「思い悩む感情の大元、そのパターンを知る」

みなさんにもこんな経験、覚えがありませんか?

なかなかその覚悟が決められないとき、私の体験として多かったなぁ~と気づいたのは、「A(B)という選択がこの先、間違っていたらどうしよう?」という思いでした。この思い・感情に囚われてしまっていることがとても多いことに!

つまり、 「A・B選択肢どちらを選ぶか?」という「選択肢そのもの」に葛藤しているのではなく実は、「そこにまつわる思い・感情が元になって、選択する覚悟が決められないでいる」ということだったのです。

noriyasu_no4_1

そこで、選択肢は一端脇におき、囚われている感情そのものを観察していきました。「では間違っていたら私はいったい何に困るの?」「そこで何か嫌なことがあるの?」といった具合にです。

すると、困る理由、嫌な思いのその理由は沢山でてきましたが、さらに分解して分解して自分と向き合ってみて、最終的につかんだ大本の思いは、「後悔する気持ちを感じたくない」「後悔したくない」「後悔するのが嫌」など、私が覚悟を決められないでいた思いを一言にまとめると

「後悔に対する恐れ」ここににたどり着きました。

実はこの「後悔に対する恐れ」という思い・感情は、私にとって 人生の岐路に立ったその時だけに感じている思いや感情ではありませんでした。日々の日常生活いたることろ、細かい部分で頻繁に繰り返し感じていた 「選択に対する私の思い・感情のパターン」だったのです。

あまりに頻繁で当たり前な思いや感情なので、 それが「パターンである」ということにすら気づけないくらいに!

つまり「選択の覚悟が決められない」のではなく、「後悔に対する恐れ」この思い・感情に囚われ、「そのパターン通りをなぞって、自動選択しているだけにすぎなかった」ということです。

ということは「A」「B」どちらを選んでも「後悔に対する恐れ」という思い・感情には変わらず!結果的に「選択の覚悟が決められないでいる」という状態を続けてきたその状況も客観的に見えてきます。

ヒント2 「一日、一生」

私にとって、「A」「B」どちらを選んでも「後悔に対する恐れ」という思い・感情には変わらず、ということは「選択そのものはあまり関係がない」ということを知りました。

それは人生の岐路の時だけに限らず、私がこの日常の中で毎瞬繰り返し選んできたパターンでもあり、日々の小さな選択のベース、その質が常に「恐れを元に起因してきた」とも言えるかもしれません。

今回、体験に基づき「後悔」を最も恐怖を感じる質、キーワードとしてあげましたが、例えばそれが 「責任を取ること」 「責めること、責められること」 「比べること、比べられること」 など、最も恐怖を感じる質、そのパターンは人により異なるかもしれません。

yuuyuu_no9_1

ヒント1でまず、このパターンを知りました。では、次のヒントしてご紹介するのは、その「パターンそのものを変換する」というものです。

日々感じる小さな選択も、一生をかけるような大きいと感じる選択も実は「そのパターンをなぞっている」という意味では”同じ”なのかもしれない!ととらえなおしてみます。「一日、一生」というキーワードは、ここに基づきます。

裏を返えすと、日々の小さな選択のベースを変えていくことによって、「人生の岐路にたったとき」の「覚悟そのものの質」「選択そのものの質」を変えることができる、と言えるかもしれません。大きな決断、大きな覚悟、と感じ捉えてきた感覚も質は、日常の些細な選択の積み重ねと同質と考えてみます。

覚悟の際に伴う恐怖の詳細、「後悔」や「責任」、「責めること、責められること」「比較」などなどをこの日々の中で「パターン変換」していけるとしたら…

「人生の岐路」は、そこに「立った時」選択を覚悟する際、その奥に伴う自分の恐怖の詳細を知り、パターンそのものをどう変えてゆくか?それを知ることのできる最も大切な場面となります。

さらに、なにかしらを選択した「その後」の日々の生き方、1日を過ごすパターンの変換によって「その岐路」はいかようにも変えることができる!ということが言えるかもしれません。

ヒント3 「過去は変えられる!」

二者択一の選択を迫られるとき、同時に浮上する思いとして 「二度と引き返せない」 「その選択を変えることができない」 「どちらか一方が無効なる」 そんな思いもありませんか?

「そんなの当たり前だよ。だからこその”二者択一”なんじゃないか!」と、私自身も思っていました。

実際そう、何度も体験もしてきました。

すると、覚悟の決断も鈍り慎重になります。

keiko_no12_1

けれども、ヒント2でお話しさせていただいたように、”なにかしらを選択した「その後」の日々の生き方、1日を過ごすパターンの変換によって「その岐路」はいかようにも変えることができる!”のであれば・・・

「二度と引き返せない」 「その選択を変えることができない」 「どちらか一方が無効なる」 と信じてきた思いに、本当にそうなのか?と疑問を持つことができます。

では実際問題、人生の岐路に選択したことが「過去」になったとき、その「過去の選択」は本当に変えらるのでしょうか?

答えは「YES!」過去は変えられます!

「そんなこと信じられない!」と私自身が当初困惑しました。

だって、過去は変えられないことを実際に何度も体験もしてきましたから、この確信が、「過去は変えられる」ということをなかなか受け入れられずにいました。

では実証を度返しして「過去は変えられる」をそのまま信じてみるとき、そもそも感じてきた「覚悟」の質が変わることを体感しました。すると、恐怖を元に覚悟する必要がなくなり、ワクワクと心望む選択が拡がる感覚に気づきました。

但し、「過去が変えられるなら、今、何を選んだっていい」ということとは違います!実際にこれまで、そう思った時期もありました。しかしその捉え方を採用すると、過去を変えられるどころか「何を選んだっていい」という無責任な状態がむしろ優先的に延々と続くことになります。

自分が本当はどうしたいのか?がいつも曖昧で微妙な状態ですよね。

この体験も踏まえご紹介した上で、これまでの「覚悟」の奥にある恐怖パターンを変換しながら 「過去なにを選択していても」「心が本当に望む選択が明確なら」、「自分でそこを変えることができる」ということ、「過去は変えられる」という事実を、3つ目のヒントとしてご紹介させて頂きました。

今回は「人生の岐路にたったときの覚悟の決め方」として

ヒント1、 「思い悩む感情の大元、そのパターンを知る」

ヒント2、 【一日一生】日々の中でパターンそのものを変換し質を変える

ヒント3、 「過去は変えられる!」

これまでの体験、実践から得られた3つのヒントをもとに私自身、現在進行形で日々、覚悟し取り組んでいます。

ではもっと具体的に、さらに実践的に、日々どうしていったらいいのか?をこれからもみなさんとご一緒に実践、探求していけたらとってもうれしく感じます!

お読みいただき本当にありがとうござました。


この書籍は、ニチメコLINEの無料セミナールームにて公開中です。LINEのお友達登録するだけで望む人生の作り方【電子書籍】をプレゼント!

LINE登録後に不要な時はいつでもブロックすることができます。安心してプレゼントをお受け取りください。

望む人生の作り方を読む

この書籍は、ニチメコLINEの無料セミナールームにて公開中です。LINEのお友達登録するだけで望む人生の作り方【電子書籍】をプレゼント!

LINE登録後に不要な時はいつでもブロックすることができます。安心してプレゼントをお受け取りください。



日本メンタルコンサルティング協会®︎
認定メンタルコンサルタント
有賀 享子


私は誰に対しても伝えたいことがうまく伝えられず「どうせわかってもらえない」と心を閉ざし、自分を偽って生きていくようになりました。その結果、私の本音がどこにあるのか?わからなくなってしまったのです。

何をしても不安や恐れに苛まれ、かといってそれを誰かに打ち明けることもできず、限界を迎えた時に日本メンタルコンサルティング協会®︎のハイゼミと出会いました。その中で、私が抱えてきた問題は、これまでの辛かった出来事や観念が深く影響していたことを知り、蓋をしてきた過去の記憶を1つ1つ遡っていきました。

すると「どうせわかってもらえない」と心の中で繰り返し責めてきた相手は、私自身だったことに気づいてしまったのです。

そこから過去の自分を救出していくプロセスの中で、自分を認め許すことが出来た時「これまでの体験が決して無駄なものではなかった」と腹の底から理解できました。こうした実体験も踏まえ、小さな気づきがやがて大きな喜びに繋がる!そんなお手伝いが出来たらとてもうれしく感じます。