【自己犠牲】この世で最も尊い愛といわれる最も残酷な行為

自己犠牲は、最も尊くて美しい愛ある生き方ですね?少なくとも世間一般では、そう言われています。

現に「人のために命を投げ出す行為こそが、最も尊く真の愛の形である」と説く宗教もあるようです。

が、しかし…。
本当にそうでしょうか?

本当にほんとうに?私たちは、人のために命を落とすことを良しとして生きているのでしょうか?

地球での最終解脱のそれが!「真の愛を知るため他人のために命を投げだす…」ために生きている?!私たちは、あえてそのことを学ぶため地球に、生まれては死ぬ輪廻を繰り返しているとでも言うのでしょうか。

私は、ニチメコで宇宙の真実を学べば学ぶほど、この地球で美学だと言われている事柄に対して疑問がわくようになりました。

過去の私の記事を読んで気づいた方もいらっしゃると思いますが、そこかしこに、この世界に対して小さな疑問を持っている私がいることを垣間見ることができると思います。

今日は、自己犠牲について世間一般で言われているところの意味と、心の中の想いとの違いをつまびらかにしたいと思います。

ニチメコのハイゼミでは、入学したら【この世は、私たちの内側の反映・ホログラム】ということを折に触れ学びます。

もう、当たり前のように念仏のごとく唱え続けると言っても言い過ぎではではないかもしれません!それほどまでに、先の世界に行くには必須の知識で、なんとしても習得すべき学びです。

しかし…スピリチュアルになれていない人の中には、「なんのこっちゃ?」と思われる方も多いです。

実のところ、ハイゼミに入学する前に長いこと精神世界に触れ、【この世はホログラム説】を夢でメッセージとしてもらっていた私にも、にわかには体得できなかったです。

それほど【この世はホログラム】と言い続けても「そんな映画のようなこと、熱を持って言われたって信じられるわけがない!」と返ってくるのが今の地球ではないのでしょうか?

それこそが!この世的には、自己犠牲が美徳であることの要因の1つなのです。

◆自己犠牲とは

ところで自己犠牲とは、いったいどんなことを言うのでしょう?

自己犠牲は、様々な宗教で重視されている。

般若心経では、自己犠牲とは自己を放棄することで、『自我を捨て、無我になる』すなわち自分以外のもの、普遍的世界だとしている。

法華経でも自分の利益を犠牲にして他人の利益を図る『利他心』は当然の真理とし、これほど尊いものはないと教えられる。

キリスト教では約2000年前、イエス・キリストが人類の罪を身代わりに受けるために十字架に架かった、とし、自己犠牲は愛だとされている。

『ヨハネによる福音書』15章13節には「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とある。

wikipedia自己犠牲より

自己犠牲は、いろんな場面で重要視されているようです。まるで、自己犠牲ができなければ人としてどうか?とでも言われているかのようです。

宗教については、自己犠牲のお話し以外に、いろんな意見もあるでしょう。

宗教の教えで救われた人もいれば、宗教がらみで怖い体験をした人や、無理な勧誘を受けてとても嫌な想いをした人…などなどです。

ただ、1つ知っておいてほしいのは、昔から宗教は、民衆を救うこともあれば、操作するためにも利用されていたように二面性を持っている、ということです。

そして、教えやお布施は、人々の生きる道しるべであると同時に、罪悪感や強迫観念なども植え付けて行った…と。

その観点からすると、自己犠牲も「他人のために命を差し出す最も美しく、この世での最高の愛の行為」と教えることで「自分など、ないがしろにしてもいい存在」と操作されているのかもしれません。

◆この世は【現世(うつしよ)】の世界

この世界は【現世(うつしよ)】である。と聞いたことはありませんか?

宗教の話がでたところで、仏教用語の1つである【現世(うつしよ)】が浮かんできましたので、取り上げてみようと思います。

この記事を書くにあたって、いろいろと調べてみたのですが、辞書的なものの中に私の認識とリンクするものが皆無だったこともあり、改めて私の中にある【現世(うつしよ)】を炙り出すことにしました。

現世(うつしよ)とは、私たちの心の中が、そっくりそのままうつされて、この世に顕現しているのではないか?と以前から常々思っていました。

この認識だと、ハイゼミでいう所の【この世は、私たちの内側の反映・ホログラムである】と同じで、このように宇宙の真実とは、いろんな角度で世の中に浸透しているのだろうと思います。

しかし、仏教用語でありながら仏教では現世(うつしよ)とは、あの世の写しと捉えられていて、私が思っていたような教えではありませんでした。

これは、どういうことだと思いますか?解釈違い?完全な間違え?思い違い?捉え違い?

◆学びのステージによる解釈の違い

本来、私たち人間は、考える葦と言われているように、自分の力で考え・思考を巡らせ進化していく生き物です。

言い換えると、進化するために地球に生まれてきた…そう捉えることもできます。

それが真実だとすると、一般世間で美徳だとされている「人のために命を差し出すために生まれてきた」とは言い難いですね?

例えば、「愛とはなんですか?」と問いかけたとき、人それぞれに「男女愛」「親子愛」「兄弟愛」「師弟愛」などと返ってくるように、観念の違いによる答えがさまざまあります。

この三次元地球上に人の数ほど観念の違いがあるように、宇宙規模からすると次元の数ほど解釈が違う…、もしくは、学びのステージの数ほど解釈が違う…、と捉えることができます。

そして、今の地球での「究極の愛」は、「人のために命を捧げることもいとわないこと」すなわち「自己犠牲」ということになりそうですが、早い話、これは答えではなかった!とお伝えしなければなりません。

◆自己犠牲が最も残酷だというわけ

実は、この世界で【この世は、私たちの内側の反映・ホログラムである】ことを人生に採用しはじめると…意外と簡単に答えが見つかります。

かくいう私も【自己犠牲】にどっぷりはまっていた過去があります。

結婚して四半世紀を迎えようとしていた私の結婚生活は、とても幸せとは言えないものだったので、いつも何かしらにつけ「母に教わった通り、人の悪口を言わず正直に生きてきたのに、どうして私ばかりがこんなひどい目にあうのか?」長い間、不思議でたまりませんでした。

そんな中でも最高に最悪な時期が、娘の高校受験の季節にやってきました。実母が亡くなりちょうど3回忌を迎えた頃でした。

私の実家は、ちょっと複雑な家庭だったのですが、実母が病に倒れてから亡くなったあとまで、それはそれはものすごい親族の争いがありました。

生まれたときからの不遇のわけが、その親族たちによって洗いざらい表にさらけ出され、否応なしに現実をつきつけられました。

私は、母からもらった自分の人生のそれらに圧倒され、心は情けなくも潰されそうでした。

それは、愛娘のこと以外には心の安らぎのなかったその頃の私を、さらに痛めつけるには十分な出来事でした。

母違いの姉から「おまえの母のものを一切合財処分しなければお前たち夫婦は、必ず離婚する!」「3回忌を迎えたらお前は、病気になるだろう!」と、呪いともとれる言葉の数々を投げつけられました。

どれだけ私は恨まれていたのだろう…どれだけ私たち母娘の存在が、忌み嫌われたものだったのだろう…心が張り裂けそうでした。

母が亡くなってから、悲しむ間もなく自分に問う毎日でした。そして、同時に悲しみに苛まれていた自分にさえ呪いの言葉を浴びせる日々だったのです。

「私さえいなければみんな幸せなのだ!」「今の不遇もどうせ私の存在が元凶なのだ!」「私が死ねば実家の親族や婚家の人たちも、自分達がどれだけ残虐非道なことをしたかわかるだろう!みな、泣いてわびることだろう!」

このころになると、娘に遺書を書こうと思い始めていました。私の財産は、すべて娘に行くように…今後何不自由なく暮らせるように…と。

悲劇のどん底でした…そして、もうそうしないことには、私の辛い思いなど誰にも伝わらないと思い込んでいました。

自分を犠牲にして、未来ある娘を生かす…そう【自己犠牲】の名の元に生きていたのです。

さて、ここで…【この世は、私たちの内側の反映・ホログラムである】という宇宙の真実を今一度思い出してみてください。

もう、何が言いたいのかわかりますね?

私は、実母の3回忌を終えた途端、約2か月半寝込みました。息をするたび痛みに耐える毎日でした。本当に、呪いの言葉どおり病に倒れ、生涯を終えるところでした。

しかし、春を迎え冬眠から動物たちが目覚めるように、私の気力も上向き始めたころハイゼミの学びに救われます。

「自己犠牲とは、言葉はきれいですが自分を残虐非道なほど痛めつける行為なのです。」

学長からいただいたメッセージの一部だったと記憶していますが、これが、いつまでもメソメソと死ぬしか道はないと思い込んでいた私に、自分の力で立ち上がる勇気をもたらしてくれました。

自分を残虐非道なほど追い込むホログラムを自らが創り、悲劇のヒロインを装い死んでいくなんてまっぴら御免だ!と思う日が来たことが、喜ばしくも幸せなことでした。

ようやく、自己犠牲の真の意味を知り、そこから抜けたい!と心から思えるようになったのですから!

◆人はなぜ自己犠牲に酔いしれるのか?

大げさに聞こえるかもしれませんが、私はハイゼミによって命を救われた…と今でも思っています。

それほどまでに、この世界には【自己犠牲】などのさまざまなネガティブ要因が、深刻にのめり込むよう設定され創りこまれているのです。

そしてそれは、良いも悪いもなく私たちの進化のために用意された、人生と言う名のあなたが主役の一人舞台なのです。

もちろん、自己犠牲を知るためには、自己犠牲にはまりこまねばなりません。なぜなら、この世界の仕組みがそういうものだからです。

三次元地球での二元性の世界では、理想の世界を知るには、好ましくない現実を体験する必要があったのです。

自己犠牲はもちろんのこと、この世界から戦争が一向になくならないのは、戦争を体験することで「平和を望む」ようになるからなのです。

これは、この世の仕組みであり設定です。この自ら設定して生まれてきた、この仕組みこそが、私たちが自己犠牲を美徳と思い込んでいる要因なのです。

◆おわりに…

自己犠牲は、確かに美しいことです。

私も、娘のためなら命も惜しくないと真剣に思っていましたし、それが自分では最も尊い愛だと信じて疑いませんでした。

しかし、人間が進化していく存在である以上、そこを超えるためにいつかは、全てがひっくり返ってしまう時期がくるのです。

そのステージを迎えたとき、それまで不本意ながらそれを演じてきた自分の人生を後悔するのか?それとも、よく頑張ってきた素晴らしい存在だよ!と自分を労わりねぎらえるのか?ここでも、また二元性の法則が働くのかもしれません。

できることなら、自分という存在自体が尊い愛であることに、みなさんが気づけますようにと願っています…。


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