頑固な人が教えてくれた自由への唯一の秘訣

「頑固な人」と聞いて、すぐに思い浮かぶ人がいますか?私はいるんですよ。。。苦笑。ある時は母、ある時は父、そして思い返せば別れた夫さんもそうだったなぁ~~なんて。

頑固な人に出会うと、私が言ったことや行動したことに対して「拒絶」されて跳ね返される感じがするのですぐ怒りが湧いてしまいます。たいてい「もうっ!!まったく!人の言うこと聞きやしないんだから」と私はプンプン怒るわけです。

どうしてこうも身近に頑固な人が現れるのでしょうか?それは、スピリチュアル大学でも何度も何度も聞いてきたこと!目の前の相手は私が映し出しているホログラム(映像)なのです。必要があって自ら頑固な人を自分で自分に見せているのです。

頑固な人はカタイです!そこをどう捉えるか!今回は少し腰を据えてジックリと向き合いました。すると意外にも頑固な人を自分だと思うと、そこからは頑固とは真逆の柔らかで拡がるものを垣間みてしまいました。

*自分自身を観察する・1

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頑固な人は、行動を変えることができません。こうと思ったら一途です!こだわりが強いです。私はここ1年ほど実家で両親と暮らすようになって、生活の中で父と台所を共有するシーンがあるのですが、なぜか必ずと言っていいほど父と同じタイミングで同じところに行くことがあるのです。

あまりに何度もそのシーンに出くわすので私はホトホトいやになりました。夕飯の支度などで急いでいる時など、ついカッ!となったまま「お父さん!!あっち行ってよ」と言いそうになります。

なんとか切り抜けて落ち着いたときにそれとなく行動がぶつからないように「私がやるからお父さんはやらなくてもいいよ」と言ってはみたものの、重たい気持ちはなおさら重たくなる感じです。この重たい感じはなんなんでしょうか?

*自分自身を観察する・2

頑固な人を避けたくて「私がやるからいいよ」と私はそこにあるすべてを担ってしまいました。そうすると私のやることが増えるだけなので肉体的な疲れは増していき、おまけに今度は違うシーンでまた父と重なることが現れるのです!私はお手上げ状態になってしまったのでした。

私はこうしたい!父も自分はこうしたい!お互いの「したい」気持ちがぶつかるのです。そしてお互いがお互いのやり方をゆずらないのです。「自分が絶対正しい」と信じているからなのかもしれません。

こういう自分のやり方を変えない!ゆずらない!シーンは、決しておおげさなことでは起こりません。生活の中の些細なシーンで起こるのでめんどくさくてしょうがありません。

些細なことであるのですが、小さいにもかかわらずそれがとてもカタク感じることは俯瞰してみるととても不思議なことにも感じます。

*介護生活の中で

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父も母も80歳を越えてりっぱな「高齢者」と呼ばれる人となり母は足が不自由になりました。いわゆる「介護」という状況です。私は、「私がやらなければいけない」という想いに縛られてしまいます。

「こんなにやっているのに」という満たされず、すがるような想いに自分自身がヘトヘトになってしまうこともあります。よく考えてみれば、「介護」という言葉が世の中に定着したのはごく最近のことだと思います。

介護保険などと色々なサポートも登場してきました。そして介護保険を利用するためには・・・という条件が示されます。人々は、その条件を満たして介護保険を利用します。そうしてどんどん「介護」という世界が確立・固定されていくかのように私は感じています。

「介護」の世界だけではなく、どんな世界でも多くの人が認識する一定の「形」があり、あるいは、その「形」は意図的に作られ、人たちは、自分にあった世界の「形」を見つけてそこに『自分』という存在の居場所を作ろうとするように思えて仕方ありません。

頑固な人はその「形」のどれもが自分にピッタリ合わないのです。そして、頑固な人は、年齢を重ねた人ばかりではありません。私の姪もその一人で小学校3年生~中学校卒業までとうとう学校に行かないことを選択して「フリースクール」という場所で学びました。出会いに恵まれたおかげで姪は現在、元々大好きだった絵やデザインの学校に進学しいきいきと毎日を送っています。

*見えてきたこと

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目の前に頑固な人が現れたとき、どちらが先なのかわかりませんがお互いがカタクなっていることは確かです。相手の頑固さに対してこちらも違う頑固さでぶつかります。交わることがない感じです。

表面上距離をとったとしても、自分の思いとおりにならないことに対して「悔しい」「やり返してやる」などのネガティブな感情が湧いてきます。家族であれば「わかってほしい!」という求める気持ちがその状況を一層複雑にしてしまうように感じています。

私は、わかっているのに同じ態度をくり返してしまう自分に疲れきっていました。頑固な人は自分の道を貫き通したいだけなのですから、そこを理解して私はひと呼吸置き距離を置くことを自分に許しました。そして、今度は自分がどうしたら苦しさから解放されて気持ちよく過ごせるかを考えました。

頑固な人の行動は、私にとって「心配」や「不安」を感じさせるものでした。頑固な人の言い分を聞いていると私の中から「それではダメでしょ!!」というイライラが出てきます。

まさしく「不安」から相手をコントロールしたい!コントロールしなければという想いが湧き上ってくるのです。私は、私を苦しめているのは、頑固な人その人ではなく、自分の中から湧き上ってくる不安と相手をコントロールしようとする過剰な責任感なんだと、やっと気づきました。

そして私は深く呼吸をしたあと、まず私は、正直に自分の想いを私自身が認め、次に相手にもやさしく伝えることを選択しました。そうしてもいいことを自分に許すことができました。伝える時は、○○はいやだ!ではなく、私は○○をしたい。というふうに私を主体とした肯定的な言い方を意識的に選ぶことにしました。

*私の行動を変える

目の前にいる頑固な人を変えるのではなく、私の方が変わる覚悟を決め、決意しました!そのことだけでも随分空気感みたいなものが変わります。頑固な人の頑固な部分と私の頑固な部分は、現れている現象は違えど、カタク狭いということが共通しています。そこを認めるのです。

もしかしたら対極と言っていいほど違う部分のかたくなさが引き合っているのかもしれません。私も苦しければ相手も苦しいのです。突出した「個性」というふうに捉えてみると、年齢も性別も関係ありません。頑固な人は、カタク狭い道だけれどその道はとても個性的(ユニーク)で明確です。

その明確な道があるのですからそこを生かしてその道を誰に遠慮することもなく、気持ちよく使えるようにまず私自身が率先してそれを私自身に許すことにしました。誰がなんと言おうと好きなことは好き。それでいいではありませんか!そこを堂々と進みましょう。人生は体験場です。怖れることはありません。

*さいごに

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頑固な人が教えてくれたことは、自分自身を許すことでした。頑固という言葉のイメージは、カタク強烈でどうしようもない。ぶつかるとスパークする。そんな強いイメージが私にはありました。出会った瞬間にぶつかるので、怒りも出ますし逃げ腰になりがちです。

押してもダメなら引いてみな!という言葉がありますが、頑固な人に向かってなんとかしようとするのではなく、頑固な人に出会って、出てきた私自身の感情を受け容れてそれを許していくことで私の目の前にしきりに登場してきていた頑固な人は、個性的でユニークな人に見えてきました。

あなたがもし、頑固な人に出会ったら、それはあなたの中のカターイ最後の砦を突破する大チャンスだと思ってみてください!きっとその時は、毎日を楽しみはじめているあなたがいることでしょう。


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