感謝の気持ち…心からの「ありがとう」が生んだ3つのギフト

私には、「ありがとう」という言葉が、どんなに素敵で、どんなに素晴らしい言葉か…
わかっているつもりでも、どうしても言えない時期がありました。

それは、なんか嫌!という人からのプレゼントや、気回し、気配りetc…
してもらった、ではなく「されている」という感覚しか得られなかった。どうしても、私は、その方々からされていることに対して、感謝の念が出てこなかったのです。

高価なものをもらっても、ねぎらいや褒め言葉をもらっても…
それ以外のところで10倍も20倍も辛い現実があったからかもしれませんが、どうしても、素直に感謝ができなかったのです。

しかも!感謝できなかっただけではなく、受け取り拒否までしていたのです!
今思うと、スピリチュアルな世界でいうところの「心が閉じているために、大いなるギフトを受け取れない」という状態だったのです。

それは、今でこそわかる、「感謝」というキーワードの学びが私にあったからなのですが…

感謝の気持ちの出力障害?

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私は、別に「ありがとう」が言えない人間ではありません。感謝の気持ちは人一倍ある方だと思います。家族や身近なお友達には、ちゃんと心から「ありがとう」が言えるし、心からそう思えて、いつも言っています。

ただ、昔からこだわりがあったように思います。
「ほんとうに、心からこの行為を(プレゼントや心遣い)私にしてくれているのか?」という、相手の心を探るような、疑うようなことを知らず知らずにしていたのだと思います。

これは、幼少期のトラウマとリンクしているのですが、複雑な家庭に生まれた私は、小さいころから『人の顔をうかがいながら』育ってきたので、どうしてもそういう立ち振る舞いをせざるを得ない環境だったのだと思います。

そのおかげかどうか?敏感にならざるを得なかった私には、共感力(エンパス)が備わったようです(敏感なスピリチュアルな人は、大抵エンパシーが備わるのでは?と思います)。この、共感力とは、相手の思っていることがわかってしまう能力なのですが、そのおかげで、相手の考えていることを肌で感じてしまうのです。

この自分に備わった共感力、小さいころから人間の心の裏表、見たくもないものを、見て・感じてしまったために、成長と共に磨きを増したようです。

欲しかったような、欲しくなかったような、複雑な気持ちではありますが…
感謝について、真剣に考え向き合った結果、1つめのギフト『共感力』を、受け取ることができました♪

心と裏腹なことをしてほんとに大丈夫?

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一時期『「ありがとう」を一日一万回言うと覚醒する!』と、巷でまことしやかにささやかれていたことがありました。「ありがとう」を感謝できなくてもいいから、とにかく唱えなさい!ということを書かれた本を、よく見かけたものです。

これは、どういうことか、簡単に言うと『感謝できなくても「ありがとう」と言ってさえいれば、あとから感謝できるようになる』というようなことです^^;

このとき、ある友人が朝から晩まで「ありがとう」を言いまくった、と言っているのを人づてに聞いたとき、嫌悪感が背中を走った覚えがあります。

人には生活する上で、「ありがとう」を唱えるより大切なことがあるはずです。
それをないがしろにしてまで、覚醒という個人の欲の為に、なぜ人は言いたくもないことを、1日中言ってよろこんでいるんだろう?

そんな気持ちで、本当に心から感謝が生まれてくるのだろうか?『ありがたいはずの「ありがとう」』が、日々大切にすべき時間をむしばむのではないか?と、私には理解不能だったのです。

その日を境に、「ありがとう」嫌いに拍車がかかったように思います。

心の中の自分と、言葉にしている自分が、相反する生活をして、心と身体が引きちぎれないのだろうか?人格分裂を起こさないだろうか?他人ごとながら、ずっと心配していました。この時は、まだ自分の感覚がエンパスだとは知らずに…

「ありがとう」が言えないことでつながったもの…

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宇宙からのギフトとも言えるエンパスとは、誰もが開花している能力ではないと、スピリチュアルなことを学ぶようになって、だんだんと気づいてきました。

まさか「ありがとう」が言えないことと、エンパスがここで結びつくとも思っていませんでしたし、そして、今まさに、このエンパスの開花が「ありがとう」という感謝の気持ちの意味の奥深さに通じるとも考えていませんでした。

私は、何年も何年も「ありがとう」が言えない私を責め続けていたのです。心から喜んで「ありがとう」が言えない私を…

社交辞令でもらった賛辞も、舅・姑から「嫁だから…」と、しかたなくもらったプレゼントも、いらない!そんなものより、心から私を想ってもらいたかった、と。ずっとずっと思っていました。

そんなつまらないことを、何年も、何十年も考えてきたのです。

今、思うと、自分のことを、よく気が狂わなかったな~と思います。
世間にアジャストできない自分を、「この欠陥品が!」と、何度お尻を叩いたことでしょう。物心ついてからずっとずーっとです…。

しかし!このギフトであるエンパスのおかげで、スピリチュアルという世界で、心から共感できる人達と出逢うことができたのです!

『エンパス(共感力)の持ち主が、共感できる人と出逢って救われた!』というのも、ギャグのような話ですが、確かに、私は救われたのです♪1つめのギフト『エンパス』のおかげで、共感できる人達と出逢えた!という更なる2つめのギフトをいただきましたー^^

「ありがとう」の学びは更なる感謝の気持ちの渦へ

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そして、その共感できる仲間と、共に学んで行くうちに、あれだけ言えなかった「ありがとう♪」がすんなり言える様になっていたのです。「ありがとう」の真の力に気づけたのかもしれません。

ただ、これだけは変わっていません。「ありがとう」は、心から湧き出る想いでなければ言葉にできません。これは、私の中では本当のことでした。

そして、この感謝の言葉は、ただ単純にもらった物に対してや、褒めてもらえたことに対してだけに使う言葉ではなかったのです!びっくり!

3つ目のギフト『拡がった意識』

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「感謝の気持ち」第2段階としての「ありがとう」は、「生かされていることに対する感謝」や、「人とのご縁に対する感謝」であったりと、1対1の関係から、1対みえないものに対する感謝気持ちの「ありがとう」に発展するようです。

これは、狭い範囲の意識でしかなかった自分から、共感できる仲間とのつながりによって拡がった意識で認識できる「ありがとう」なんだと思います。

あれだけ悩んでいた狭い範囲での「ありがとう」とは、雲泥の差ですよねー!2段階と言っていますが、1→2という単純な数字では測れないではありませんか?!

ここに到達できると、人生何かが変わってきます。変わりすぎです!ギフトがギフトを呼びます!感謝の気持ち「ありがとう」が言えなかった過去の私という存在が、いったいそんな人どこにいたの?というくらいに薄らいでいます。

感謝の気持ち…「ありがとう」…共感力…
使わない手はないですね!

『大いなる何か』に向けて…の感謝の気持ち

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そして、ここ最近の私の「ありがとう」の認識が、すごいところに到達しました!
これは、また今度、じっくりゆっくり時間をかけてお知らせできればー!と、余韻を残しつつ、フェードアウト…


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