インナーチャイルドと手をつなぐ8ステップで今すぐ幸せに!

インナーチャイルドという言葉に心当たりのある方は、きっとご自身の中に気になる子どものような存在を感じたことがあるからでしょう。

インナーチャイルドは傷ついた状態で私たちの記憶の中に登場してきてとても大切なメッセージを伝えてくれる存在です。

インナーチャイルドの感じ方は、本当に人それぞれ!!100人いれば100通りの感じ方があります。

今日は、私のインナーチャイルドが大人になった私に語りかけてきたときのことをご紹介します。

そして、インナーチャイルドを解放してもっと幸せになっていくことを自分自身に許していった過程を一緒に感じていただけたら幸いです。

① インナーチャイルドとの出会い

あ!これが私のインナーチャイルドだ!!とはっきりわかったそのときは、突然でした。朝起きて、まだうす暗い静かなキッチンに立った瞬間だったのです。

ひからびた真っ暗な井戸の中で真っ黒な身体で横たわっている小さな子どものイメージが突然浮かんだのです。

不思議なことに、それが私のインナーチャイルドだということは、すぐわかりました。なんだろう?と疑問に思うことはまったくなかったのです。

今、そのことを思うと、私はどこか無意識でも確かに知っていたのだと思います。

私はその頃、スピ大に入学して過去のトラウマや、長年抱えている感情のクリーニングをし始めた頃でした。

結婚して夫と生活する中で、自分自身の「怒り」をハッキリ認識したときでした。

それまでの私は、親やまわりの人の期待に応えることがあたりまえの「いい子」でした。

ところが結婚をして、その「いい子」だけでは前に進めない状態になっていました。

価値観のまったく違う夫や新しい家族の中で今まで私が信じていた「あたりまえ」が通用しなくなったときだったのです。

② 対話する

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そんなときに、私のイメージにはっきり浮かんで登場してきてくれたインナーチャイルドは、真っ黒でひからびているのです。

それでも確かに生きていることは感じます。感じるのですが、声をかけても言葉で返事を返してくれることは、ありませんでした。

これでは私がインナーチャイルドのこの子から受け取る大切なメッセージが何なのか?がわかりません。。

③ 抱きしめる

私は、ただ真っ黒な私のインナーチャイルドに長い間気づいてあげなかったことに「ごめんね」とあやまったり、さびしかったりつらかったりしたことを思いやり、他人に接するように自分自身のその気持ちに寄り添いました。

そのことは、私自身の記憶にある子ども時代の悲しい思い出や辛い思い出をそのまま、ありのまま「悲しかった」「さびしかった」と100%認めてあげることでした。

あの時、悲しかったのは、○○こういうことがあって○○できなかった私もいけなかった。などと「さびしい」というストレートな想いを感じようとすると、すぐに思考や自分を責める感情までも出てくることが多いのですが、そのときはその思考もすべてまるごとを包みこむように認めます。

制限なし、出てくる感情を感じ尽くし、思考もまるごと受けとめることを意識していました。

④ 守っているもの

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私のインナーチャイルドが 真っ黒でひからびてしまうほど、私はこの子の存在を否定していました。なぜなら現実で体験している世界は、この子がありのままでいられるような状態ではなかったからなのです。

寂しいと泣き叫んでしまえば、大好きなお母さんを困らせてしまう。お母さんが困ってしまうと私への愛情も薄らぐわけですから、私は当然おとなしく聞き分けのいい「いい子」でいることを選択してきました。

この状態が長く続きくり返されているうちに、私のインナーチャイルドは真っ黒でひからびてしまったのです。

⑤ 本当はどうしたいの?

重症だと思いました。私のインナーチャイルドは怒っていました。私という人間は、真っ黒なインナーチャイルドとその真逆の「いい子」でできあがっています。

色でいうと、黒と白ぐらいの極端な感じです。

つい最近、こんなことがありました。

*エピソード*

私は新緑の美しい晴れた日に、日頃から訪ねてみたいと思っていた滝のあるお寺に行くことにしました。

その場所を調べてみたら、電車で20分ほどで割と近いところにあることがわかりました。「1人になりたい」という気持ちが強く一人で行くことにしました。

当日よく晴れた空にワクワクしながら出かけ電車を降りると、予想してない光景にちょっとビックリです。

駅も無人駅でした。電車で20分の距離だとは思えないくらい山々に囲まれた静かな田園風景が目の前に拡がっていました。

しかも目的の場所へ行く、バスなどの交通機関もないことがわかったのです。一瞬ドキッとしましたが、それでも私はiPhoneのGoogleマップを思い出し、場所を検索してみたら、徒歩で17分の距離だということがわかり、1人歩くことにしました。

その歩いているとき、言い知れぬ感情が湧いてきたのです。目に見えているのは、美しい新緑やピンクや黄色の可愛い花たちで、きれいな声の鳥の鳴き声まで聞こえてくるのですが、私は、なぜかそのとき、小学校1年生くらいのとき、ひとりで遊びに行っていたときの、私を思い出してどこか暗い気持ちになっていました。

そして偶然は重なるように、時を同じくして、親から置き去りにされて1週間ひとりでさまよった男の子のニュースが世間をにぎわせていました。

そのニュースでは「置き去り」という部分が強調されているように聞こえていましたが、私は、1週間ひとりで歩きさまよった男の子の気持ちと自分の中に浮上した「誰にもわかってもらえない1人になりたい」気持ちが重なっていました。

なぜかこのとき私にはこの重なる気持ちが同じだという確信がありました。

そんな気持ちを感じていると、数珠つなぎのように、小学校1年生くらいの時、両親も誰も知らないところで遊んでいた私のことを思い出したのです。

私が小学校一年生の頃、母は妊娠していて切迫流産の怖れがあるため、本当は入院しなくてはいけないけれど、まだ小学校1年生だった私もいることを知った先生が自宅に毎日母を往診してくれることになり、母は、自宅で絶対安静の毎日を送ることになりました。

家事は父が私に色々教えて一緒にやっていました。

そんな頃の誰も知らない私の遊びは、今から思うとちょっとゾッとするような危ない感じのするもので、1つは、家の近所の小さな森の中に数人の男の子と一緒に遊びに行ったこと。

うっすらと覚えている記憶では、「遊んではいけない」と言われていたお兄ちゃんたちだったような気がします。

少し暗い森の中に小さな身体で一生懸命斜面を登るところは覚えているのですが、その先はあまり思い出せません。

もう1つは、自分の身長の約5倍くらいある崖から飛び降りるという遊びでした。

どちらの思い出も今思い返すと怖いくらいで、なぜそんな遊びをしていたのか?長い長い間 自分でも理由がわからなかったのです。

ただ「遊び」という感覚でいて深刻に捉えていないことはさすが子どもだなぁ~と思うのです。

赤ちゃんが産まれるまで絶対安静にしていなければいけない母。私に家事を教える父をどう感じて、小学校1年生の頃の私は本当はどうしたかったのでしょうか?

⑥ すべては今にある

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大人になった今、小学校の頃の子どもの感情をつぶさに思い出すことは、むずかしいと普通は考えます。

しかし、本来のありのままの私を取り戻して幸せになりたいという望みに宇宙は完璧に応えてくれて、私たちに奇跡をもたらします。

常に出来事は最善のこととして起こっているのです。そのことに気づくか気づかないかだけなのです!

私は今、両親を介護するという現実生活を送っています。母の足が不自由になり動けない状態。家事を高齢の父と助け合いながらやるという今の生活は、私が小学校1年生の頃に体験した状況と不思議なほど同じ状況なのです。

そんな今の私が、ふと1人になりたくなった想いに「誰にもわかってもらえない」「さびしいけれど誰かと一緒にいるより1人でいたい」というような複雑な想いがありました。

そうなのです。どこか寂しく埋められない悲しみを抱えていることを再び追体験して感じることができているのです。

⑦ 解放する

今までは、この世を幸せに生きていくために「いい子」でいること、まわりの期待に応えることで ある意味自分を守ってきました。

しかし、私の内側にインナーチャイルドという傷ついたままの私に気づいた時に、その子の発する「怒り」のエネルギーと今までの私が発する「いい子」でいるエネルギーは、交わることができすにバラバラのままです。

肉体が子どもの時は、1人で遊びに行くことで寂しさや悲しみを紛らして両親に「怒り」をぶつけることはしていなかったのかと思うとなんとも健気な自分自身を抱きしめたい想いです。

肉体も大人になった私は、子どもの時の感情を今の出来事で追体験し、そこで感じる深い悲しみを ちょうどその時訪ねていた寺の裏に流れる滝の水で勢いよく流しました。

そして、真っ黒にひからびたインナーチャイルドを豊かに流れる滝の水で洗ってあげて水浴びを思う存分させてあげるイメージをしてみました。

新緑の中に静かに座り深い呼吸を意識しながら、そのイメージをしていると、いつのまにかイメージの中のインナーチャイルドは喜んで元気に動きだし、その身体もお日様の光と透き通った水に白く輝き始めました。

⑧ 共に生きる

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私のインナーチャイルドは、こだわりが強くひとつのことを徹底的にやりたいタイプのようです。

小学校一年生になったばかりの頃、新しいノートにきれいに書いていたのに、途中で何かの理由で字が乱れたりした時、すぐそのノートを新品のノートに変えたくて、何度も母から「最後まで使ってからにしなさい」と言われ、新しいノートは、私の手の届かない高い棚の上の赤いカゴの中に入れられていたことを今でもハッキリ覚えています。

潔癖なくらいに几帳面だったりする性格は、物事を理解する上にも出てきて算数の計算をなかなか理解できなくて母をがっかりさせたりした思い出もトラウマとなって今の私の中にあることがわかりました。

こだわりが強いということは、とかく現代においては生き辛い原因のひとつになり『問題』としてとりあげられます。

しかし、こだわりが強いことは、悪いことばかりではありません。物事を深く観察したり感じたりする能力もあります。

それを表現する力も同じようにしっかり持ち合わせていると思うのですが、表現する方法を自分自身が見つけてそこに一歩踏み出すまでに時間がかかるように感じています。

自分自身が好きだと感じること。楽しいと感じること。幸せだと感じることが他の人と一緒でなくても、私自身がそれを素直に認めて育むことがとても大切なことだと感じています。

それが、自分自身のインナーチャイルドを大人になった私が心から愛して大切にすることです。

*まとめ

これまで心のどこかに辛い思いや、寂しい思いを抱えたまま生きてきたことは、決して無駄ではありませんでした。そして「失敗」と感じたこともそれがあったからこそ成長のきっかけになっていました。

このタイミングを待って「今」私は私のインナーチャイルドの深い悲しみを解放し、私が心から幸せだと感じることをもっともっと望んでいいと心から許すことができました。

チャンスはいつも誰にでも目の前に用意されています。私は今、私のインナーチャイルドと手をつなぎ、歩み出す新しい始まりのときにとてもワクワクしているのを感じています。


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