ありのままの自分に戻る1つの方法・・ネガティブを肯定する

ありのままの自分に戻るということは、シンプルにて、究極だと思います。

究極がゆえに、なかなか到達できない地点、とも言えるかもしれません。

「ありのままの自分」に戻るということは、「ありのままの自分」ではないということですね。

ありのままの自分で生きるのは難しい世の中ですが、皆、心のどこかで、ありのままの自分で生きることを望んでいるのではないでしょうか?

ありのままの自分に戻ることに目覚めていくと、生きることの奥深さに驚き、その面白さ、醍醐味に、歓喜するでしょう。

ありのままの自分に戻るということは、究極の喜びであり、最高の人生ゲームかもしれません。

ありのままの自分に戻る1つの重要な方法は、「ネガティブを肯定する」ことです。

自分の中にあるネガティブを肯定する(認めて受け入れる)

「ネガティブな自分」「ネガティブな出来事」「ネガティブな人」「ネガティブな思考・感情」

あなたは「ネガティブ」にどんな反応をしますか?暗い、重い、氣持ちが沈む。あまりいい氣持ちがしませんね。どうでしょう?

ありのままの自分に戻るには、「ネガティブな自分」を肯定することが、とても重要な取り組みになります。

「ネガティブを肯定」し「ありのままの自分」に戻ると、自由自在に生きられるようになります。人生が豊かになります。生きる世界が拡がります。すべての出来事を楽しめるようになります。そして、極めつけは、自分の心から望む人生を創り出すことができるようになります。

と言われたら、ネガティブを肯定したくなりませんか?

 

ところが、いざネガティブを肯定しようとすると、これが意外に困難です。

わたしたちには、「ネガティブを拒否する本能」と言ってもいいようなのものが、根深くあります。それが、「ネガティブを肯定する」邪魔をします。

では、まず手始めに、ネガティブを肯定したくなるように、ちょっと心を揉みほぐしましょうか。

 

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実は心に一番響いた言葉は・・・

わたしが悩み苦しんでいた頃の話から始めます。今は亡き夫の母(義母)と同居していたときのことです。わたしは、義母にやさしくできず、そんな自分を責めました。やさしくしたいと思うのに、どうしてもやさしくできませんでした。そして、やさしくできない自分を責めました。

やさしくしたい、でもできない、そんな自分を責める、でもやっぱりやさしくできない。この出口のない葛藤を繰り返し、長く苦しみました。

苦しんでいるわたしに、友人がつぶやくように言いました。「お義母さんを嫌いでもいいんじゃない」「やさしくできなくてもいいんじゃない」。

どんな言葉より、体の芯に、届きました。どんな言葉より、慰められ、救われました。実は、一番聞きたい言葉だったと思います。一番求めていた言葉だったと思います。当時、そういうふうに言ってくれる人はいませんでした。

心と体がほっとしてゆるみ、うれしく受け取っても、すぐに、「やさしくしなければ」「好きにならなければ」に戻るのでした。友人の言葉に喜んだ氣持ちは、心の奥に押し込めました。

それでもたまに、「嫌いでもいいんじゃない」「やさしくなくていいんじゃない」を、心の奥から引っ張り出しました。「もしかしたらほんとうにそうかもしれない」と思い、もう一度、その言葉で、自分自身を慰めるのです。一瞬、自分にやさしくするのです。

そうやって、自分自身を保っていたと思います。

「ネガティブを肯定する」ことは開運の大きな鍵だった!すでに心と体が教えてくれていた!!

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その後、わたしは、この世の仕組み、この世の成り立ちを学ぶ機会を得ました。しあわせになるには「ネガティブを肯定する」ことが大きな鍵を握っていることを知りました。

その仕組みを知ってから、当時を振り返ってみると、すごいことに思い当たりました。

「嫌いでもいいんじゃない」「やさしくなくてもいいんじゃない」の言葉に、わたしの心と体は、ほっとしてゆるみ、喜び、癒され、救われました。これらの心と体の反応がどういうことを意味していたのか、わかったんです。

「嫌いでもいいんじゃない」「やさしくなくてもいいんじゃない」は、「ネガティブな思いを肯定していいんじゃない」ということだったことに氣がつきました。「ネガティブを肯定しよう」ということだったんです。

心と体が、ほっとし、ゆるみ、喜んだということは、「それが正解だよ」ということだったんです。その時点で、「ネガティブを肯定する」ことを、わたしの心と体は知っていたんです。「ネガティブを肯定してもいいんだよ」「ネガティブを肯定しなさい」「それが答えだよ」とわたしに伝えていたんです。

心と体が、わたしにサインを出していたのに、わたしは受け取れませんでした。自分の本当の声を聞くことができませんでした。世間一般の価値観、「やさしくなければいけない」「人を嫌いになってはいけない」「愛のある人、やさしい人、いい人でなければいけない」に、ぐるぐる巻きに縛られていました。自分で自分を縛り、苦しんでいたんです。

こんな経験ありませんか?

心が反応することを無視してしまうこと。体が反応することを無視してしまうこと。

ここでは、ネガティブを取り上げています。ネガティブに対しての心と体の反応と、そのあとの自分の心の動きを思い出してみてください。

例えば、みんなが出来ることを自分だけが出来ないとき、自分は駄目だと落ち込みませんか?自分を責めませんか?そのとき、「出来なくてもいいんじゃない」と言われたら、ほっとしてうれしくなりませんか?救われませんか?自分を肯定できませんか?

「できなくてもいんだ!」と本当に思えること、それが「ネガティブを肯定する」ということです。

ただ、とても大事な注意点があります。「本当にネガティブを肯定できているか?」となると、どうでしょう?「本当に」肯定できているか?は重要なポイントです。「出来なくてもいいんじゃない」と言われ喜んでも、でもやっぱりすぐに、自分を責めてしまう、「自分は駄目だ」に戻ってしまいませんか?

「自分は駄目だ」に戻ったら、ネガティブをまだ「本当に」肯定できていないということです。ただ、こういうことが言えます。ネガティブは、実は、繰り返し繰り返し肯定する作業が必要です。なので、繰り返し繰り返し、肯定する作業をすることになります。繰り返していると、必ず、ネガティブは減っていきます。

ネガティブが減っていくのと比例して、自分を肯定できるようになるので、自信が出てきます。自分を信頼できるようになります。自信、信頼は、自分の思考や行動に大きな変化をもたらします。そして、現実を大きく変えることができるようになります。

義母との関係を修復 最期は本当の母のように思えた

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最初に、義母にやさしくできなかった、と書きました。やさしくできなかったのは、義母とわたしの間で起きた、過去の嫌な思い出、嫌な記憶が邪魔をしたからでした。

義母が外出しているときは、「帰ってきたら今日こそやさしくしよう」と強く思うのですが、いざ義母が帰ってくると、瞬時に過去の嫌な記憶が甦り、拒否反応が出て、絶対!やさしくできないのでした。

その状態を打ち破ったのが、義母が脳梗塞になって歩けなくなり、始まった介護でした。介護は、大変だと思ったり、嫌だと思うこともありましたけれど、義母との関係を修復できるチャンスを与えられたと思い、ありがたかったです。仲の悪い状態で別れることにならなくて助かった、と思いました。

同居22年。そのうち介護7年半。十分な介護はできなかったですが、関係修復はなんとかぎりぎり合格点をもらったかな、と思っています。最期は家で、家族で看取ることができました。

義母との関係修復も、結局は、「ネガティブを肯定する」ことが深く関わっています。また、介護前の、「嫌いでもいい」「やさしくなくてもいい」ことを、わたしが「本当に」受け入れていたら、義母との関係は、大幅に変わっていたことでしょう。

お読みくださってありがとうございました。感謝します。


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