使命感の裏のメカニズムと 自分の使命を見つける4つの流れ

「今はわからないけど、何か大切な使命があるんじゃないのか?」「根拠はないが確かなこの感覚。それがいったいなんなのかを知りたい!」そんな衝動にかられたことはありませんか?

生きていることそのものに「漠然さ」「釈然としない感じ」または「日々なんとなく生きている」「なんだかもやもやするな」こういった気持ちに気づき、その感覚にそのものに疑問を持ちはじめたときの私達には、

意識的に自らの人生を歩みたいと望むこと、自分自身の「使命感」や「使命」ということに意識を向けるタイミングが訪れているのかもしれません。

ではその「使命」とやらは、今の仕事の中にあるのか?これから就く計画の中にあるのか?出逢う人とのご縁の中にあるのか?超えるべき何かの中にあるのか?

例えばこんな風にして、自らの使命の在り処を思い描いたりします。けれどもそんな時こそむしろ曖昧な「使命感」と、見いだしにくいのが「使命」というもの。そこで今回は、これまでの「使命感」が持つ裏のメカニズムを実体験をもとに紐解きながら

使命感を持って生きるその本質を知り、心から欲するオリジナルの使命をみつける!そんな考え方の4つの流れをご紹介します。

1、使命感が持つ落とし穴

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「使命感」その響きにとてもエキサイティングなイメージを感じることはありませんか?人生を勢いよく彩る推進力、迷わず力強く生きていく大いなる指針。憧れ、羨望、輝き、情熱・・・こんな印象も持ち合わせているようにも感じます。

例えば日々淡々と繰り返される日常の中にふと疑問を抱いたとき。「使命感を持って生きることのできる何か」を思い描いたりすることも多いのではないでしょうか。

かくいう私自身がこの「使命感」という感情の素晴らしさをや恩恵を感じてきた一人です。立ちはだかる壁を超える時など、ぶれることのない「使命感」という躍動が常に私を押し上げてくれる、そんな体験を感じることが多かったと実感します。

ところがです!

そこには臨界点がありました。使命感を持って取り組んできたことのすべてが完全にストップしてしまったのです。大いなる人生の指針であると信じて疑わず、羅針盤のように育んできた「使命感」が何の役にも立たなくなった瞬間です。

そこにいったい何があったのか?落とし穴は何だったのか?自問自答する日々がはじまりました。

2、使命感を支える奥の思い・感情に気づく

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そこで私は初心に立ち返ってみました。信じて疑わず共にこの人生を歩んできたはずの使命感。ではそもそもなぜ私は使命感を欲したのか?そこに落とし穴が見つかる、その思いに向き合う日々の中でとってもシンプルな答えを見つけました!

まずは「この何気ない日常に力強い意義を見いだしたかった」ということでした。自分がここに存在しているということを使命感をもって肯定したい、生きているという実感を得たい、

この強い使命感を支える奥の思いには「今、存在している自分自身を否定する思い」があった!ということでした。考えてみれば、「なーんだ!そんなことかぁ~」と思いがちな私でしたが、さらにその奥には、

孤独や寂しさ悲しみや劣等感など、自分自身が受け入れる感情そのものが認識されることなく、手放されることなく脈々と振動していたのでした。こうした奥の感情が、気づかれることなく蓄積していった結果、

「すべてが完全にストップする」という状態を引き起こしたのだな!と、合点がいきました。

使命感の感情の持つ大いなる躍動感。そこを信じ疑わず羅針盤として生きてきた。それを「自己信頼」だと思ってきた。ところがそれは、「おおいなる自己不信感そのものだった」というオチです。

また私の体験上、有り余る使命感はその情熱があまり、それが自己不信感であるということに気づきにくいという状態も引き起こしがちです。これは「すでにある日常のありのままのしあわせ」にも気づきにくいという事も同時に持ち合わせています。

それを欲した自分自身を感じたとき一度立ち止まって、本当はどう思っている?どうしてそれを求めるの?と、その奥の思いや感情に、自分がまず寄り添ってあげること、

使命感が持つ躍動感に飛び込む前に、ちょっと時間を設けて自分の人生をよりよく、大切にするための素晴らしい時間として向き合ってみる、ということをおススメします。

そこに向き合った上での「使命感」には、そもそもの躍動感とともに静かで穏やかな調和のとれた深みが増す。こういったクオリィーが根拠となる「揺るぎなく確かな使命感」持つ仲間たちを、私は大勢知っています!

3、私達の使命は「しあわせになること」

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「今はわからないけど、何か大切な使命があるんじゃないのか?」冒頭に書かせていただいた問いは、やはりこの私自身が感じていた思いです。

「何かしなければならないことがあるのではないか?」「なにか使命があるのではないか?」この衝動がなければ今の私自身がこうしてここにいることもなかったと思います。

なのでこの思いがすべてのはじまりであり、この人生をよりよくしたい、意識的に自らの人生を歩みたいと望むことは決して悪いことではないと断言できます!

しかしこの使命感がひとたび「~しなければならない」という方向へと強く傾きすぎるとき、この衝動は「恐怖」を元にした羅針盤に変わってしまっていた…ということにもなりかねません。

その時はその時で、「その方向ではないかもよ?」という最善の出来事を自らが引き起こすので、そのことによって気づき、人生の羅針盤を自分の手で変えたらいいだけです。

しかし、いくら羅針盤を変えても、前述した、繰り返される些細な日常の「すでにあるありのままのしあわせ」に気づきにくいという状態は、ふと気づくと自らを「恐怖」に導いてしまうことがあります。せっかく変えたはずの羅針盤をまたなぞることに。

では、そう思いなおしてみると「使命感」や「使命」の本質は、当たり前の日常の1日、1日、この日々の一瞬、一瞬に対し、意識的にしあわせに気づくこと。また、しあわせを感じ、しあわせを創り続けていくこと。すなわち、私達の使命は、

日々、しあわせになることそのものである と言えそうです。

私がかつて欲した使命感、しなければならないと感じていた使命そのものは、実はもうすでにこの手にしていたんだ!ということでした。

4、オリジナルの使命をみつける!

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先ほど、「私達の使命は、日々、しあわせになることそのものである」と書かせていただきました。例えば使命というものをここに基づき考えたとき、「オリジナルな使命」はどうやってみつけていったらいいでしょうか!?

意識的にしあわせに気づくこと、しあわせを感じること、しあわせを創り続けていくこと、その「しあわせ」の質、なにを「しあわせと感じるか?」はそれこそ十人十色!その人にはその人の、「オリジナルなしあわせ感」がきっとあります。

それをみつけていくことそのものも使命の一つと言えるかもしれません。それを阻害しているかもしれない思いや感情に、自分自身が気づくこと、寄り添ってあげること、手放すこと。これもまた直結する大切な作業の一つと感じます。

当初イメージした「使命感」の、エキサイティングで勢いよく彩る推進力、憧れ、羨望、輝き、情熱などは一見感じられないような地味な作業ですが、

この地道な作業の繰り返しによって、思いもよらなかった「オリジナルの使命」が必ず見つけられます!なぜならその大元である使命そのものは、私だけでなくみなさんも「この日常」という日々の中に散りばめられ、すで手にしているからです!


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