皆さん、イライラした時どうしてますか?
・我慢する
・かわいそうな人だと考える
・時間が過ぎれば解決する
・イライラを損得で考える
・相手を無視する
・気にしないようにする
・相手の良い所に目を向けてみる
・寝てしまう
・カラオケに行く
・飲みに行く
・愚痴る
・瞬時に他の事を考える
・みなかったことにする
・食べる
・運動する
私は大体、このどれかを選択してきました。
でも一向に問題解決に至らないのです。それは、どれもイライラを回避するには有効ですが、イライラを根本から解消する方法ではなかったからです。
私の身近に、いつも穏やかでニコニコしている人がいます。そしてその人の近くにいると安心して、心が開けます。それはそれは仙人のような器の大きな人です。
それで私は聞きました。
仙人をイライラさせることは起こらないのか?と。
すると、訳のわからない返事が返ってきました。
「起こるけど、起こらない。」
私は最初、起こるけど、怒らないのだと勘違いしていました。
ところがそうではないことが分かり、訳がわからなくなったのです。
イライラすることは起こる。
でも起こらない。
はて?
そして仙人に質問されました。
◆仙人流奥義 イライラの原因とは?
私は答えました。
「非常識な人を見るとイライラします。」
『非常識な人とは?』
「みんなの迷惑になるような行為を平然とする人です。」
『例えば?』
「煙草をポイ捨てする人とか…」
『なるほど。それでその捨てられた煙草は、お前さんが拾ってゴミ箱に捨ててるのかい?』
「いや、見てただけですけど。」
『じゃあ、別にお前さんに迷惑が掛かったわけではないのう。』
「まあそうですけど、それを掃除する人がいる訳じゃないですか。」
『それは、お前さんの知り合いか誰かかい?』
「いや、それも知らない人ですけど。」
『その誰か知らない人が、ゴミ捨てられて迷惑だと言ってたのかい?』
「いえ、でも思うと思います。」
『それはお前さんが思ったということで、憶測にすぎないわけじゃな。』
「まあ、そうですけど。」
『では、何でお前さんがそのゴミを拾って捨てようとは思わなかったのか?』
「私がですか?なんで私が拾って捨てなきゃいけないんですか?」
『ではお前さんと煙草をポイ捨てした人と何が違うのかの?』
「全然違いますよ。私は見てただけ。相手は捨てたんですから。」
『それは行為の違いだけだと思わないか?』
「そうかもしれませんけど、そうは思いたくないです。」
『なぜじゃ?』
「自分があんな非常識なことする人間と同じだと思いたくない。」
『では何でそんなにイライラしているんじゃ?』
「それは、私があんな人間と同じだと言われたからですよ。」
『その人はそんなに悪い人なのか?』
「そうに決まってます。」
『それは確かかのう?』
「・・・」
『みんなイライラするのは人のせい、物事のせいだと思ってる。それが一番のイライラの原因じゃよ。』
「では、全部自分のせいだって言うんですか?」
『極端に言えばそうなる。みんな自分の中に決めたルールがあってな。そのルールに従っていないものを悪、ルールに則っているものを正とするのじゃ。』
「世の中のルールじゃないのですか?」
『都合よくそう思おうとしてきた。そうすれば、自分に責任を負わなくて良いからな。』
「ちょっとよくわからないです。」
『では、煙草をポイ捨てする人間は非常識だ。だからイライラすると言っておったな。』
「はい。」
『そして、煙草をポイ捨てすることで迷惑が掛かると。だからイライラすると。』
「はい。」
『でも、お前さんがイライラする理由が本当にそこにあるのかな?』
「だってゴミを公共の場に捨てるのは良くないって常識ですし。」
『だったら拾えばいい。お前さんが拾って片付ければ、イライラする必要なかったのではないかな?』
「それこそイライラしますよ。」
『ということはだ。そのゴミを拾っていないお前さんがイライラする理由は無くなる。』
「そうですか?」
『お前さんは、世の中からゴミがなくなればいいと思っておるのかな?』
「それは綺麗でいいかもしれないですね。」
『だったら我々人間が存在しない方がいいと言うことじゃ。』
「それは極論ですよ。」
『では、どうだったらいいのかな?』
「ちゃんとゴミ捨て場に捨てたり、決められたルールに則って片付ければ何にも問題はありません。」
『本当にそうかな?そのルールを決めたのは誰かな?』
「人間です。」
『それはこの人間界にとって都合のいいルールかもしれん。だが、それがこの地球にとって本当にあるべき姿なのだろうか?例えば、お前さんの捨てたゴミがゴミ処理場で燃やされる際に、大量の汚染物質を大気中にばらまいていたとしても、それはお前さんのせいではないのかい?食器を洗った洗剤が下水を流れて、下水処理施設で濾過されれ綺麗になると信じておるが、突然の大雨で処理しきれなくなった下水は、川を下り海へと流れでる。それで汚れるのは大雨のせいで仕方がないと考えるかのう?』
「そこまで考えていませんでした。」
『そう、みんな考えないんだ。』
「そして人のせいにしている…、気づいていませんでした。」
『本当かい?本当に気づいていなかったか?』
「気づいていたんでしょうか?」
『だからイライラしたんじゃよ。』
「そうなんですか?」
『それに目をむかせない為に外を利用する。』
「どういうことでしょうか?」
『全部自分の内の反映ということじゃ。』
「内の反映・・・」
『目の前の現実は自分の内側を映し出した鏡だと思えばいい。』
「では、私がイライラしたのは、自分の内側に問題があったからだと?」
『そういう事じゃ。そしてイライラするのが悪いと思っておる、違うかな?』
◆仙人流奥義 イライラしない方法とは?
『なんで誰だってと断定する?』
「みんなそうじゃないんですか?」
『それはお前さんの思い込みじゃ。』
「思い込みなんですか?」
『違うかな?』
「仙人はイライラするのは嫌じゃないんですか?」
『嫌じゃよ。』
「やっぱりみんなそうじゃないですか!」
『ちがう!!わしとお前さんがイライラしたくないと言ったまでじゃ。みんなではない。皆と思い込むことで、自分は正しい。相手が間違っているという安心を得ようとするのじゃ。みんな間違いたくないからの。でも間違いなんて本当は何もないのじゃ。』
「間違いはないんですか?」
『あると言えばあるし、無いと言えば無い。』
「どっちなんですか?」
『そのままじゃ。全部お前さんが作っているだけなのじゃよ』
「世の中の常識もですか?」
『そうじゃ。』
「世の中のルールもですか?」
『そう、全部そうじゃ。』
「そんなのおかしいじゃないですか!!そんなことあるわけない。」
『そう、だから誰かのせいにできるんじゃ。全部自分の責任だと理解してしまったら人のせいにできなくなってしまうでの…』
「人のせいにしたいんですか?私は。」
『なんでそれをワシに聞くんじゃ?』
「納得いかないんです。」
『そう、だからワシにイライラしておる。』
「しますよ、誰だって。いや、私はね。」
『そう、お前さんがイライラしておるだけじゃ。』
「私、仙人と話していると、いつも穏やかで、安心する気持ちがありました。でも仙人も他の人と同じです。」
『そうわしもみんなと同じじゃ、誰が違うと言うた?』
「私がそう思っていただけでした。」
『今日の様にお前さんの価値観で、わしは如何ようにも変わってしまう。つまり、ワシはワシであって、ワシではないということじゃ。』
「それってどういうことですか?」
『お前さんが、こうだと信じているものも全て、お前さんの価値観次第でいくらでも変わってしまうということじゃ。』
「それって、全部私の思い込みでこの世界ができてるみたいじゃないですか!」
『その通り!お前さんの思い込みで出来ている。』
「と言うことは、この世界は存在しないということですか?」
『存在する。お前さんの中でな。』
「仙人も存在しますよね、こうして話しているわけですから。」
『いや、実は・・・この話はまた次回にしよう。長くなるでな。それでお前さんの聞きたいことは、ワシをイライラさせることは起こらないのか?ということじゃったな。』
「そうでした。起こるけど、起こらないとはどういうことでしょうか?」
『自分がイライラしようと思えば思えるし、しようと思わなければ起こらない。』
「それは、仙人だからできることですよ。」
『それも決めつけじゃ。自分にはできないと正当化しているだけにすぎん。』
「私にもできるようになるんですか?」
『誰にだって出来る。そのために生まれてきたのじゃからな。』
「イライラしないために生まれてきたんですか?」
『そうでもあるし、そうでもない。』
「ん~まあいいや。で、どうしたらイライラしないようにできるんですか?」
『お前さんは、これまでどうやってイライラした後を過ごしてきたんじゃ?』
「・我慢する
・かわいそうな人だと考える
・時間が過ぎれば解決する
・イライラを損得で考える
・相手を無視する
・気にしないようにする
・相手の良い所に目を向けてみる
・寝てしまう
・カラオケに行く
・飲みに行く
・愚痴る
・瞬時に他の事を考える
・みなかったことにする
・食べる
・運動する
こんな感じでしょうか?」
『それで解決できたんかな?』
◆仙人流奥義 イライラ解消法
「その場はイライラを忘れたり、他に意識をむけることでイライラしないようにはできたんですけど。根本から解消したいなぁと思いまして。」
『根本が変わらんと、手を変え品を変えても何も変わらんからの。』
「そうなんです。それで仙人にアドバイスを求めれば何か答えが得られるのではないかと思ったのです。」
『そういうことか…、それなら答えはもう伝えたな。』
「えっ?まだ初めて聞いたばかりですけど。」
『先ほどからお前さんに伝えたことが全てじゃよ。』
「ということは、イライラも本当は存在しないと?」
『そう、お前さんがそうしたいからそう認識しておるだけじゃ。』
「そんなわけないじゃないですか、私はイライラしたくないんですよ。」
『だったらしなければいい。』
「それができないから困っているんじゃないですか。」
『まだ困っておらん。だからイライラできるんじゃよ。』
「どういうことですか?」
『ん?イライラしたいんじゃろ?』
「だから!!したくないんですって!!!」
『ほらな。』
「だってそれは・・・」
『ワシのせいか?』
「・・・。」
『イライラは全部自分が作っておるんじゃよ。まずはその自覚を持たんと、変えることはできん。イライラしたくないといいながらイライラしておる。それがいまのお前さんのやりたいことだからじゃよ。』
「どうしたらいいんですか?もう私、本当に嫌なんです。イライラしたくないんです。」
『では、その思いを原動力にして、イライラしないと決めたらいい。』
「それだけですか?」
『それだけじゃ。』
「なんか出来る気がしません。」
『それは変わりたくないからじゃ。口では変わりたい変わりたいと言うても、行動は変わりたくない。実践したくない。めんどくさい。違うかな?』
「だってなんかもっと奥義のような特別な方法でないと、自分の中から変われるって確信が持てないんです。」
『それは、お前さんがそう設定しているからじゃ。』
「私が設定してるんですか?」
『そうじゃ。変わりたいと思えばいつでも変われる。自らを鍛えるのは日常生活が最も近道じゃ。』
「日常生活だけですか?」
『日常の中にすべてが詰まっておる。イライラを創り出すための材料も、イライラしなくなるための材料も。でもな、我慢するのとは違う。我慢は、更に奥に押し込んで、変わる事を更に困難にする。』
「では日常生活ではどう過ごせばいいですか?何を指針として生きていけばいいですか?」
『それは、お前さんがどう生きたいか?どうだったら幸せか?それだけを考えればいい』
「じゃあ、私が幸せだったら、周りが不幸でも構わないってことですか?」
『お前さんはどう思うのじゃ?』
「すいません、ちょっと抵抗しました。」
『なぜ抵抗する?ワシの回答がお前さんの求めている奥義ではないからか?』
「まあ、そんなところです。」
『では覚えておくといいぞ。奥義は、その畑で作業しとるお婆さんが持っとるぞ。それにその公園でボールを蹴っている少年、ブランコに揺られている女の子、それにあのヘルメットを被って道路工事している職人も。』
「いまここから見える人、全部じゃないですか。」
『そうじゃ。奥義を持ってるとするなら誰もが持ってると言えよう。もちろんお前さんもな。』
「つまり、奥義はあるけど・・・、ない。」
『その通り。お前さんがそれを掴めば、それがお前さんにとっての奥義となるじゃろ。』
◆仙人のイライラ告白と実践法
「そういうことですね。それで、もう一つ聞かせてください。仙人は昔からイライラしないんですか?』
『イライラしっぱなしじゃった。』
「えっ?意外ですね。仙人がイライラするイメージが湧きません。」
『イライラする自分が嫌いでたまらんかった。自分なんぞいっそいなくなってしまった方がいいのではないかと思うくらい自分が嫌いじゃった。』
「そうなんですか。」
『だから、お前さんの気持ちもようわかる。・・・。』
「仙人…、私も仙人みたいになれますかね?」
『なれるとも。その為にいまここにおる。』
「決めればいいんですよね。もうイライラをしないと。」
『そうじゃ。そうするとな、イライラするような出来事ばかりが起こるようになる。お試しじゃ。』
「お試し?」
『お前さんがイライラしないと決めたから、それを実践訓練するための現実が演出されるようになる。』
「じゃあ、さっき仙人に対してイライラしたのもその始まりということでしょうか?」
『そうじゃ。まずは自分を知ること。何に反応し、何にイライラしておるのか?感情に負けてイライラしてしまうと、この体験を体験できなくなってしまうでな。』
「体験を体験できなくなってしまう。」
『体験している自分を、観察するんじゃ。もう一人の自分を置いてな。』
「もう一人の自分・・・」
『体験している自分を観察する視点を持てばいい。できそうかな?』
「なんとなくわかります。例えば、いまこうして仙人とお話ししている私を観察しているもう一人の私を置けばいいということですよね。」
『そうじゃ。それも何度も訓練しておる内にできるようになる。』
「そうなんですね。これからやってみます。」
『そしてな、自分の認識を修正していくのじゃ。先ほどのように、外のせいにしてきたありとあらゆるもの、常識やお前さんの観念、ありとあらゆるものを観察して、どうやってお前さんのイライラが生まれているのかを突き止めるのじゃ。』
「すごい取り組みになりそうですね。」
『お前さんのいう奥義じゃからな。その上で、自分のイライラを正当化させてきた理由をはがしていく。すると、イライラできなくなっていくのが分かるはずじゃ。なぜかわかるかな?』
「わかりません。」
『これまで外にあると信じてきたイライラの理由が自分の中にあったことに気づいてしまうのじゃよ。』
「へぇ~~~~。」
『そうなったらもう外を責めることは出来ん。さらにイライラは自分を幸せにしてくれるかな?』
「してくれません。」
『では、自分を幸せにしないものを自ら作り出したいかな?』
「だしたくありません。」
『だから、起こるが起こらないのじゃ。』
「そうか、自分以外のせいにしてたんですね!!何かが繋がりました。」
『それは良かった。後は実践じゃな。知識として理解するのと、実践を通して身につけていくというのは全く異なる取り組みじゃ。いつでもお前さんの力になろう。』
「心強いです!!」
◆最後に・・・
如何でしたか?
イライラはこうすれば解消される…
最初は一時的であっても解消策を求めたくなるものです。イライラしている自分はやっぱり嫌ですもんね。
でもインターネットでどこを調べても、出てくるものは解消と言うよりもイライラ回避法ばかりだったもので、私が現在進行中のイライラの根本解決法をシェアさせていただきました。
いざ取り組んでみた感想は、言葉で伝えられるような簡単なものではなかったです。知識として理解するプロセスと、実践し自分のモノに落とし込んでいくプロセスがこんなにも違うのかということがよくわかりました。そして、ここで登場してくる仙人ですが、実在します。全く違う形ですけど。
そしてこの仙人に見守られながら一緒に実践に取り組んでいる仲間達も、どんどん成果を挙げていってます。そんな中から現在ハッキリ申し上げられることがあります。
イライラ問題回避は、人生にイライラが何度も繰り返されます。
イライラ根本解決は、イライラを自由にコントロールできるようになります。
またこの続きを書けるときに、シェアさせて頂きたいと思います。
読者の方のお役に立てたら幸いです。