そもそも理想の夫婦像なんてあるのでしょうか?
そういう言葉がむしろ悩みを作ってるのかもしれません。理想より幸せを探求してみませんか?
私たちは、子供のころの教育から、理想の形の優等生、理想の家族、理想的なプロポーション、理想のマイホームなどなど、あらゆる面において理想という形をたたきこまれてきました。
では、理想の形と幸せはイコールなのでしょうか?理想の人生とは何なんでしょうか?その基準はどこから来るのでしょうか?私は可能性の低い理想より、確実な幸せを追うことにしました。
もちろん夫婦のあり方もそうです。理想の夫婦、あるいはおしどり夫婦、良妻賢母、などというしかるべき言葉がありますが、果たしてそれが幸せとどんな関係があるというのでしょう。私は、理想のではなく、幸せな夫婦の関係を探求してみたいと思います。
幸せな夫婦への見直し5つのポイント
喧嘩をしない夫婦は仲がよい。
NGです。けんかをしないないなんてありえません。暴力はダメですが、言い争いや口論があってもそれは素直に自分を表現してるならそれでいいと思います。実際私の知り合いに、大声でけんかした後すっきりして一緒にお風呂に入ってる、という周りもあきれるようなカップルがいます。ちなみに私は、けんかをするということは大の苦手です。でもあえて、自分の言いたいことはきちんと言おう思っています。
趣味はたいてい同じである。
これもひとつくらいは同じものがあるのはとてもいいですが、すべてがぴったり、いつも一緒なんてありえません。せいぜい一つか二つ話題に上るようにしておくと会話に困ったとき便利です。それにどこに行くのも一緒。これもストレスがたまらない程度がいいですね。一人で出かけるもよし、二人で出かけるもよし。。。ですね。
相手の恋愛は絶対に許さない
長い結婚生活の間、一度や二度恋をすることもあるはず。いいえ、あるかも。。。夫婦と恋愛はまったく別物です。むしろ嫉妬を楽しむくらいの余裕があっても~ただし、あくまでもすべて自分で責任を取れる範囲であることが大切です。
夫婦の寝室は同じにすべきである。
それも自由でいいと思います。ちなみにうちは別室です。相手のテレビやいびきの音それに室温などにストレスを感じなくて済むから、これもお互いが生活するために心地良い方を選択しましょう。とにかく毎日を心地よく暮らす。。。これが一番だと思います。もちろん一緒のほうが、、、そう思われてる方はそれでいいと思います。
相手にへそくりなどの隠し事を一切しない
へそくりや、ちょっと高価な買い物をしちゃった。。。とかかわいい隠し事があったっていいんです。そこに罪悪感や、恐れなどの感情が出てきたら、そのときは考える必要がありそうですが、本人にとって心地よい形であればいいと思います。もしそのことで、相手を怒らせてしまったら、そのときは素直に自分の気持ちを言って誤ればいいんです。
私自身優等生の名残でもって、理想の夫婦の形を追い求めてきました。でも、それが自分の気持ちを無視するということ、そして自分以外の人間になろうとすることにつながり大変苦しい思いをしました。今「こうあるべき!」と苦しんでいる方。夫婦の形にしろ、親子の関係にしろこうあるべきを追いかけるより本来の自分自身を信頼して、そのままの自分を相手にぶつけてみてはいかがでしょう。私は結婚40年にしてそのことがようやくできるようになりました。
お互いの信頼とは、一つ一つ全てのことをわかりあうことではなく、相手そのものを信頼すること。つまり自己信頼に繋がります。夫婦というのは、形ではなくもっと重要な役割があると思うのです。夫婦の役割とは、お互いの姿を鏡として、自分に向き合う絶好の機会を作ってくれているのです。
自分が苦しい時は必ず相手も苦しいのです。自分が相手を気に入らないところがあれば相手も必ず気に入らないところがあるはずです。それは、同じ時間を共にするというご縁があったものに与えられた自己信頼への学びのチャンスなのです。そして、その学びのご褒美は、なんともいえない相手への慈しみの心を感じられるようになることです。それはそのままですべてが愛おしい。。。そんな気持ちを体験させてくれるのです。それこそは理想よりも幸せを基準にした夫婦のあり方かもしれません。